オーストリア10歳少女監禁事件の概要や犯人は?脱出法やその後も



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こんにちは、ももあぼです。

11月3日放送の

土曜プレミアム・目撃!超逆転スクープ2

世紀の凶悪監禁犯VS決死の生還劇では、

「10歳少女誘拐事件…地獄の監禁8年全記録!母の愛が生んだ奇跡の生還」

として、オーストリアでの少女監禁事件についてです。

それでは、どんな事件だったのか振り返ってみましょう。


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オーストリア少女監禁事件の概要

オーストリア(wiki)

オーストリア少女監禁事件は、

オーストリアにおいて、1998年3月より行方不明とされていた当時10歳の少女

ナターシャ・カンプッシュ(Natascha Kampusch)さんが

8年半の監禁の末、

2006年8月23日、ウィーン近辺で警察に保護された事件です。

オーストリア少女監禁事件

https://matome.naver.jp/odai/2152766822500436001

犯人は、ウォルフガング・プリクロピル。

誘拐の経緯

事件が起こったのは、1998年3月2日。

カンプシュさんは登校中に、

失業中だった通信技術者のウォルフガング・プリクロピル容疑者に拉致され、

バンの中に押し込められました。

プリクロピル容疑者は、

自宅のガレージの下に掘った6平方メートルに満たない地下室に彼女を閉じ込め、

幼いカンプシュさんには「ドアや窓には爆弾が仕掛けてある」と伝えました。

また、両親は彼女のことを忘れたとも言い聞かせたそうです。

ちなみに、カンプシュさんは監禁場所が

誘拐されたウィーンの北にあるシュトラースホフであることは

なんと、初日から知っていたようです。

聡明な女の子だったのでしょう。

帰ろうと思えば帰れた…ということなのでしょうが

恐怖で行動しようとは思えなかったのかもしれませんね。

8年半の監禁生活

その後数年間、容疑者はカンプシュさんを殴り、

食べ物もごく少量しか与えませんでした。

何日も食べ物を渡さない日もあったそうです。

カンプシュさんが思春期を迎えた後は強姦を繰り返しました。

「叫ぶことはありませんでした。私の体が叫べなかったのです。でも無言で叫んでいました」

地下室での典型的な1日は、ほとんど同じ繰り返し。

プリクロピル容疑者と一緒に朝食をとり、彼が仕事に行くと

本を読んだり、テレビを観たり、ラジオを聴いたりしていたそうです。

また、本やビデオの助けを借りて、編み物や料理などを独学し、

さまざまな家事もこなしていたそうです。

夜は夜で、帰宅したプリクロピルとのたわいのない会話に費やされたようです。

「何年間もこれだけがすべてだった。何もかもが孤独への恐怖につながっていた」

と、自叙伝にあります。


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監禁生活の疑問点

オーストリア

https://en.wikipedia.org/wiki/Natascha_Kampusch#/media/File:Das_Haus_von_Wolfgang_Priklopil.jpg

「さまざまな家事をこなす」って何?と思ってしまいました。

6平方メートルは、4畳くらいだと考えると

そんなに広くありませんよね。

調べてみると、眠るときと容疑者が仕事に行っているとき以外は

上の階(容疑者の家)での生活も許可したのだそうです。

そして、強姦を繰り返したーーと、AFPBBニュースは報じましたが

キスや愛撫といった軽い性的な接触はあったものの、

彼は決して無理やり身体を奪おうとはしなかったと、自叙伝にはあります。

これって、結構違うと思うのですが…。

彼女には、「ストックホルム症候群」の症状が出ているとして

犯人をかばっているのでは?というような憶測も飛びましたが

彼女自身は、否定しています。

ストックホルム症候群とは、

誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、

生存戦略として犯人との間に心理的なつながりを築くようになることをいう。

臨床心理学における心理障害(精神障害)ではなく、

心的外傷後ストレス障害として扱われる。

(Wikiより)

「被害者に、ストックホルム症候群という病名をつけることには反対する。

これは病気ではなく、特殊な状況に陥ったときの合理的な判断に由来する状態である。

自分を誘拐した犯人の主張に自分を適合させるのは、むしろ当然である。

共感を示し、コミュニケーションをとって犯罪行為に正当性を見い出そうとするのは

病気ではなく、生き残るための当然の戦略である。」

https://www.bbc.com/news/magazine-22447726

なぜ脱出できたの?

2006年の夏、プリクロピル容疑者は携帯電話で、

カンプシュさんを誘拐した時に使っていた白いバンを売却する話をしていました。

通話の音声が良く聞こえるよう駐車場を離れたところ、隙をついて逃げ出したそうです。

なぜ、今まで帰れそうな距離にもかかわらず、逃げ出さず

そして、今になって逃げ出したのか。。。と言うところが疑問だと思います。

それまでは、逃げ出せなかったのでしょう。

眠るときは、手錠をかけられていたようですし、

容疑者は、逃げ出さないように、死なない程度の食事しか与えていませんでした。

誘拐されて数年間は、通行人に気づいてもらえるように

ペットボトルを投げたりしていたのですが、それも無駄になってしまいました。

絶望しかありません。

容疑者は徹底していて、家の中で行動するときも、

ぴったり1m後を歩くよう言われていたようです。

しかし、18歳になると容疑者のすぐ傍でなら

一切声を出さないという条件で外出を許されていたようです。

この日も、容疑者の傍らで、車を掃除させられおり

その掃除機の音がうるさくて、容疑者は車を離れたのだとか。

さすがに外出できるようになれば、

爆弾が仕掛けられているという話もウソだとわかりますし

容疑者にも、こいつは逃げないと思われていたのでしょう。

8年半の信用というやつなのでしょうか。

カンプシュさんは、200mを走り

フェンスを乗り越え、71歳女性の家に逃げ込んだところを

通報されたそうです。

カンプシュさんが脱出した直後の体重は42キロで、

誘拐された当時と同じだったそうです。


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犯人のその後は?

プリクロピル容疑者はその日、線路に飛び込んで自殺しました。

44歳でした。

容疑者は、生前、

生きては捕まらないということをカンプシュさんに話しており

カンプシュさんが保護されたことを知り、自殺したと思われます。

犯人の素顔

容疑者は、マザーコンプレックスを抱えていたそうで

「脱出することによって、私は自分を迫害していた人間から逃げることができた。

それと同時に、いや応なく近くにいた人を失った」

「私を殴り、地下室に閉じ込め、餓死寸前まで追い込んだ男が求めていたものは、

誰かに抱きしめてもらうことだった」

と、カンプシュさんの自伝に書かれています。

一方でプリクロピル容疑者から「ご主人さま」と呼ぶよう求められたが、

真剣な態度ではないと考えて拒否したこともあったのだそう。

「彼は私のご主人さまではなかった。

(プリコピル容疑者と)同じくらいに私は気が強かった」

どうしてこんなに捕まらなかったの?

カンプシュさんが誘拐されたとき

彼女は、パスポートを所持していました。

捜査網は、オーストラリアだけでなく

隣国にも及ぶほどだったそうです。

事件の3カ月後に、

12歳の目撃者の証言をもとに

警察は犯人であるプリクロピルに辿り着いていました。

彼には、アリバイもありませんでした。

しかし、容疑者の巧みな話術に説得され

逮捕は見送られたのだそう。

カンプシュさんが警察が無能というのもわかる気がします。


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カンプシュさんのその後は?

自伝を出版し、複数のテレビのインタビューにも応じ、

自分の体験をベースにした『3096日』という映画もリリースされました。

教育も受けられなかったため、教育課程を終わらせ、

金細工の技術を身につけようともしたが、続かなかったのだそうです。

それでも2011年には、

自伝の印税と寄付金を使ってスリランカに小児病院を建設しました。

2008年に、自分が監禁されていた家を購入したそうで

その辺も歪んだ愛情と言うか複雑な感情が垣間見えます。

しかし、カンプシュさんは、まだ普通の日常に戻れないようで

2013年の時点では、親とは「疎遠になった」と語っていました。

容疑者には

お前の家族は身代金の支払いを拒否しており、

厄介払いできて喜んでいる」と、伝えられていたそうです。

今になっては、それがウソであるとわかっていても

どうして助けてくれなかったのという思いは、そう簡単には消えないのかもしれませんね。

2018年の今では、親子関係がよくなったのでしょうか。

そんなところにも注目して、土曜プレミアムを見ていきたいと思います。

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