相田康次(ミシュラン料理人)は中山秀征の舎弟?なぜパリに?結婚は?アナザースカイ

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こんにちは、ももあぼです。

11月30日放送の

アナザースカイ

中山秀征さんがパリで感動の再会を果たします。

中山秀征さんが再会する相手とは?

気になったので調べてみました。

中山秀征の再会相手は?

番組の内容を見ると

再会のお相手は、ミシュラン料理人のようです。

30年前、料理を教えた一番の舎弟がいまやミシュランの料理人に!

和食で初めて星をとったパリ「あい田」の主人と感動の再会。

https://tv.yahoo.co.jp/program/51998225/

再会する相手は、「あい田」の主人ということですね。

パリで働く「あい田」のミシュラン料理人は

相田康次さんという方でした。

相田康次のプロフィール

相田

https://gqjapan.jp/life/food-restaurant/20120307/koji-aida

誕生年:1968年

出身地:新潟県三条市

経歴

相田康次さんは、

三条市の割ぽう旅館「ときわ荘」を経営していた相田家の次男です。

新潟市内の高校に通う三年生のときに、

スカウトされ、モデルに。

そして、いきなり「笑っていいとも」の出演が決まりました。

1986年に、4代目いいとも青年隊「半熟隊」としてデビュー。

半熟隊は、神田利則(かんだ としのり)さんとのコンビで

「としのり」「こうじ」と呼ばれて人気者に。

名前は、「笑っていいとも!」番組内で公募してきまりました。

1985年3月31日に初出演し

1987年10月2日まで活躍しました。

その後、芸能界を引退し、

母親のステーキレストラン(鉄板割烹)を手伝うため、料理人に転身。

その後、ワインと料理の勉強のため

1997年にフランスに渡り、

ホテルのレストランで勤務しながら

日本へのバイヤーとしても活躍しました。

2005年、パリに

鉄板カウンターと和室を備えた「あい田」を開店。

2008年レストラン格付けガイド「ミシュランガイド」08年フランス版で

フランス国内の日本食レストランとして初めて「1つ星」を獲得しました。

フランス最高の食材を惜しげもなく使い、

その魅力を和食の技法でぞんぶんに引き出す料理に定評があります。

相田康次は、なぜパリに渡ったの?

相田康次さんの伯父さんがパリに住んでいたのだそうです。

伯父さんを訪ねてパリに行ったら

「パリに到着して2時間もしないうちに、私はここに住んでしまおうと決めた

のだそうです。

何かインスピレーションでもあったのでしょうか。

相田康次は結婚してる?妻は?

2007年2月放送の「情熱大陸」では、独身

男性のルームメイトと暮らしていました。

そのためゲイなのでは?という声も少なくありませんでした。

(もちろん他にも理由はあるようですが)

しかし、調べていると

ちらほら2006年頃、「綺麗な奥さん」という記述が。

どうやら、開店当初、パリの「あい田」で

綺麗な日本人女性が働いていた様子です。

確かに、「情熱大陸」では

酔ったフランス人シェフの対応に手こずる場面も

見受けられたため、

中居さんやガードマンのような人を置いた方が良いのでは?

と、いう意見もあったほどです。

開店当初は、接客担当の方がいらっしゃったようなのですが

(パリの「あい田」に来店した人のブログなどより)

「情熱大陸」放送ではいなかったようです。

と、いうことで

開店当初はいた接客スタッフか、

奥さんだったが、別れた…か、

でしょうか。

しかし、パリの2ツ星シェフ佐藤伸一さんが

開店までの4年間、相田氏の自宅で居候していたというエピソードを考えれば

2009年に「パサージュ53」を開店されているので、2005年からですね。

2005年は、「あい田」開店の年ですよね。

んん~2007年までは、結婚はしていなさそうです。

それ以降のことは

わからなかったので、

また番組で、最近の相田さんについて

わかるかもしれませんね。

中山秀征の過去とは?

番組では、中山秀征さんが

30年ぶりに相田康次さんと再会します。

舎弟というくらいだったのですから

同じ事務所で仲が良かったのかもしれませんね。

笑っていいとも!で相田さんが出演し、

その後の、いただきますという番組に中山さんが出演していたことで

いつも遊んでいたそうです。

中山秀征のプロフィール

中山 秀征(なかやま ひでゆき)さんは、タレント、司会者、元お笑いタレント。

相田康次

https://tv.yahoo.co.jp/program/51998225/

愛称:ヒデちゃん・さん

生年月日:1967年7月31日

出身地:群馬県藤岡市

身長:172cm

体重:58kg

所属事務所:ワタナベエンターテインメント

1981年に芸能界デビュー。

1984年に渡辺プロダクションの新人募集オーディションに合格します。

相田康次さんが、いいとも青年隊としてブレイクしたのは、

1985年3月31日から1987年10月2日ですから

相田さんの方が年上でも、舎弟扱いだったんですね。

毎晩、相田さんに晩ご飯を作ってもらっていたのだそうです。

30年前、相田さんから

「タレント辞めようと思う」と電話を受けた中山さん。

何を言っているんだ、これからじゃないか、と説得したそうです。

とにかく辞めない。辞めなければチャンスが来る。

それだけが生きがいだったんだよね、自分がね。

この場にいなければチャンスは来ないと。

離れた瞬間に誰かにそのチャンスは行くと思っていたんで

相田にもそういう風に。

今はうまくいっていないけれど必ず一生懸命やってたら

(芸能界は)チャンスが来るって思っていたんで

(アナザースカイより)

それでも「辞める」と言った相田さん。

相田さんは、料理の道へ、

中山さんは、芸能界で夢を追い続け、20年余り音信不通に。

1985年、中山さんは

松野大介(現:小説家)さんと「ABブラザーズ」というお笑いコンビを結成し

人気になるも、「いただきます」を降板した1989年を境に人気は低下。

1992年には、お笑い第三世代に追われるように

ABブラザーズとしての活動は自然消滅してしまいました。

お笑い第三ブームとは?

漫才ブーム以降から1980年代後半に台頭した

若手お笑いタレントを総称した俗称。

とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、B21スペシャルら。

他にもダチョウ倶楽部、出川哲朗などのリアクション芸人や

清水ミチコ、野沢直子などもあてはまる。

(wikiより)

当時、マネージャーからも

お笑い第三世代の台頭に負けを認めろ、と諭され

方向転換を余儀なくされたそうです。

アナザースカイ番組では

「コンビとしては負けたかもしれないけれど

個人としてはこれからだから。

もう一回やりなおそう」と、

マネージャーさんに言われた中山さん。

それからは、どんな番組でも全力で取り組むということを

繰り返してきたそうです。

そんな二人が連絡を取り合ったのが

2008年に、相田さんがミシュランで一つ星をとった時。

中山さんは、「自分のこと以外でこんなに嬉しいことはない」と言い

相田さんは、やっと話せたという感じだったそうです。

「人生っていうのは、ひとつじゃない。

勝負っていうのは、一つのことだけじゃなくて

変えたっていいんだと。

そういう岐路は何回あっても

どのこ世界でも多分あるだろう。

だから、「やっちゃいけないなんてことはないんだよ」ってことを

俺はここでガーンってきたね。

(アナザースカイ 中山さん)

番組では、

書道の上手な中山さんが「和」という文字を書き

相田さんに贈っていました。



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