相田みつをのプロフィール、妻や息子は今?大物歌手はだれ?ゆかりのお菓子店も紹介!爆報フライデー

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こんにちは、ももあぼです。

爆報!THE フライデー【隠された有名夫婦の裏側&あの美女は今大追跡SP】(9月14日(金) 19時00分~)から放送される中で、相田みつをさんが特集されます。

「にんげんだもの」を生んだ相田みつをの妻が書にまつわる衝撃の事実を今夜告白! ▽天才書家に振り回された妻と息子の人生とは!? ▽無名の作品を広めたのはあの大物歌手!

https://tv.yahoo.co.jp/program/48838669/

相田みつをのプロフィール

相田 みつを(あいだ みつを)さんは、日本の詩人・書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。

相田みつをhttp://www.shikishima-farm.jp/shopandgallery/

本名:相田 光男

生年月日:1924年5月20日

出身地:栃木県足利市

学歴:関東短期大学夜間部国文科卒業(一度は進学を断念)

家族:妻・千恵さん、一男’(一人)一女。

戦中戦後の動乱期に青春時代を過ごし、30歳のころ、「いのち」の尊さを見つめながら、
独特の書体で短く平易に自らの言葉を書く作風を確立しました。
多くの方々に愛され続けるその作品は、大きな困難に立ち向かう方や、
乗り越えてきた方々の心に寄り添うように、またあるときは力強く語りかけます。

www.shikishima-farm.jp/shopandgallery/

相田みつを略歴

大正13(1924)年 栃木県足利市に生まれる。本名 光男。

昭和12(1937)年 旧制栃木県立足利中学校入学(13歳)

昭和17(1942)年 同中学校卒業(18歳)
秋の歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の禅僧・武井哲応老師と
出あい、在家のまま師事し仏法を学ぶ。

昭和18(1943)年 書家・岩沢渓石に師事する(19歳)

専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになり、30歳のころ、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書く作風を確立した。

昭和29(1954)年 第1回個展を足利市で開催(30歳)
以後、全国各地で「自分の言葉・自分の書」による展覧会を開催する。
毎日書道展に入選。以後、1960年まで7回連続して入選。

1974年、教えを受けていた紀野一義のベストセラー『生きるのが下手な人へ』で紹介され、さらに1984年、詩集『にんげんだもの』出版が契機となり、広く知られるようになった。

『にんげんだもの』はその後ミリオンセラーとなり、つづく第2詩集の『おかげさん』(1987年)も約25万部のベストセラーになった。

平成 3(1991)年 12月17日、足利市内の病院で脳内出血により永眠。
享年67歳

相田みつをの家庭の貧困生活 妻や息子は?

1954年、大きな商家の末娘であった平賀千江さんと結婚。

千江は歌会で相田と知り合ったが、不器用で収入がなかった相田との結婚に周囲が反対したという。

一男一女をもうけ、家族四人は八畳一間で暮らしていたが、相田だけは三十畳のアトリエを独占していたという。(Wiki)

千江さんは、実家に頭を下げて、お金をもらっていました。

また、相田みつをさんは、妻が働くことを禁止していたそうです。

良い作品を生み出すため…というストイックな理由です。

先日、書展で売れた書を焼却。納得がいかないので、買い戻してきたようです。

書を極めているための、異常なこだわりでした。

画商の菅原澄によると、相田は自分では「自分は書家ではない。在野の坊主だ」と常々言っていたが、人間臭く、わがままで、嫌いな相手とすぐケンカになったり、女性に大層もてたりしたという。(Wiki)

現在、長男の相田一人(かずひと)さんは、相田みつを美術館館長をしています。

気骨ある人に成長するように、何事も一人でやっていけるように、一日も早く一人立ちできるように、という願いをこめて『一人』と命名した。

また、転じて後、人生の孤独、寂寥、悲哀等を一人で堪えてゆかねばならぬ時の事を考えて、あえて『一人』と名付けた次第なり」

と、死後に見つかった日記に名前の由来が書かれていました。

Wikiを見る限りでは、芸術のために家庭を顧みないようにもとれます。長男命名の日記部分を読むと、子供のことを考えていたとはいえ、やはり芸術家っぽい感じがします。

番組では、91歳になられた奥さんである千江さんが出演されるそうですが、果たしてどのように語られるのでしょうか。