第十雄洋丸(1974年巨大タンカー衝突)事件の概要とその後は?ナフサや自衛隊は?

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こんにちは、ももあぼです。

11月15日放送の

奇跡体験アンビリバボーでは

東京湾沿岸で起こった大型タンカー炎上事故についてです。

どんな事件だったのか振り返ってみましょう。

第十雄洋丸事件の概要

調べてみると、第十雄洋丸事件(だいじゅうゆうようまるじけん)と呼ばれていました。

第十雄洋丸

http://news.livedoor.com/article/detail/15569858/

1974年11月9日13時37分頃

サウジアラビアから京浜港川崎区へ向け

合計57,000トンのプロパン、ブタン及びナフサを積載して航行中であった

日本船籍のLPG・石油混載タンカー「第十雄洋丸」(総トン数:43,723トン)と

15,000トンの鋼材を積んだリベリア船籍の貨物船「パシフィック・アレス」(総トン数:10,874トン)

の衝突事故が発生しました。

衝突によって発生したタンカーの火災を

当時最新鋭の消防船を投入しても鎮火できなかったため、

海上自衛隊の護衛艦が砲撃と雷撃でタンカーを撃沈処分しました。

自衛隊史上で唯一の実弾使用作戦だったのだそうです。

第十雄洋丸事件の原因は?

第十雄洋丸は、

その右舷3キロに接近する貨物船を発見していたものの

中ノ瀬航路を航行していたことで、船体が完全に航路を抜けるまで

海上交通安全法による航路優先の原則が適用されると考えていました。

対して、パシフィック・アレスも

前方に大型タンカーを発見していたものの

中ノ瀬航路の出口をかすめる位置を通過しようとしていたため、

航路外での海上衝突予防法によるスターボード艇優先の原則が適用されると考えていました。

つまり、双方の船長が「相手がよけるだろう」と思っていたのです。

そして、どちらも相手の船が見えていたにもかかわらず

相手がよけるだろうと思いこみ、舵を切るタイミングを逃してしまいました。

第十雄洋丸が積んでいたナフサとは?

第十雄洋丸

https://automotive.ten-navi.com/dictionary/19195/

原油を蒸留して得られる沸点範囲30~200℃の「粗製ガソリン留分」のことをいう。

軟質ナフサからは「直留ガソリン」が、

重質ナフサからは「改質ガソリン」が作られベース・ガソリンとなるが、

ナフサの90%余は石油化学工業の原料として、

合成繊維や合成樹脂が作られる。

https://automotive.ten-navi.com/dictionary/19195/

ガソリンのもと…と考えていいんでしょうかね。

様々な石油化学製品の原料として重宝されていますが

身近なところでは、ライターのオイル「ジッポオイル」が有名かも。

しかし、ナフサは、ベトナム戦争ではナパーム弾に使用されるほどの

爆発力と燃焼力を持っています。

大量破壊兵器の原料…という一面もあるんですね。

今回の第十雄洋丸は、ナフサを2万トン積んでいたというので

ちょっと想像できませんね。

第十雄洋丸事件の経緯は?

衝突直後、可燃性の高いナフサのタンクにヒビが入り、引火し大爆発。

特にパシフィック・アレスは、正面からナフサの炎を浴び、

船全体が一瞬で猛火に包まれてしまいました。

そして、ナフサは海上にも流れ出してしまいます。

第三管区海上保安庁の消防船と巡視船、

東京消防庁、横浜市消防局、民間の港湾作業船も出動して

消火作業に当たりましたが、消化の気配はありません。

さらに、強風にあおられて、衝突したまま炎上した2隻は

横須賀方面に流され始めました。

このまま横須賀港に衝突すれば、陸上にも被害が及びます。

それに、横須賀の浅瀬には、岩礁が点在しており

さらなる爆発が予想されました。

そこで自衛隊は、

2隻を引き離し、砂が柔らかい千葉県の富津沖に移動させることにしました。

19時ごろ、火勢が衰えたのを見計らって

パシフィック・アレスに曳索を掛けて引き離しに成功し、曳船(えいせん)しました。

このときまだ第十雄洋丸は炎上し続けて、漂流していました。

当時の海上保安庁に大型船舶を曳航できる機材はなかったため、

深田サルベージ建設に曳航を依頼し、富津沖に移動することができました。

ここまでで10日かかっています。

第十雄洋丸事件の被害者は?

パシフィック・アレスからは、28名の犠牲者と1名の生存者が発見されました。

第十雄洋丸からは、5名の犠牲者が発見されました。(生存者は34名)

生存者に、これだけの差が出たのは、

パシフィック・アレスが正面から炎を浴びて、

一瞬で船全体に燃え広がったためだと考えられています。

生存者の1人は、機関室にいて火災を免れました。

第十雄洋丸の方は、巨大タンカーだったのもあり

爆発から離れた場所で、海に飛び込んだり

エスコート船・おりおん1号などにより救助する余裕がありました。

第十雄洋丸と海上自衛隊の撃沈処分

当初はこの地点で

ナフサ並びにプロパンを燃やし尽くす予定でしたが

地元の漁業関係者の抗議により

再び東京湾外(太平洋)へ移動させることになりました。

しかし、かなり慎重に移動させていたにもかかわらず

予定の地点に達する前に、残っていた積荷のナフサが再び爆発炎上してしまいます。

そこで曳船してきたタグボートから切り離され、

第十雄洋丸は、炎上したまま黒潮のど真ん中を漂流してしまいました。

このままでは危険と判断した海上保安庁は、

第十雄洋丸の処分を求めて自衛隊の出動を要請しました。

作戦は、最初にナフサのタンクを破壊し、

上空から爆撃で穴を開け、最後に魚雷を発射して処分するというものでした。

思っている以上に巨大タンカーは

強靱な特殊鋼で作られていて、厚みも浮力もすごいんですね。

このため、DDH-141「はるな」、DD-164「たかつき」、DD-166「もちづき」、

DD-102「ゆきかぜ」及び潜水艦「なるしお」(SS-569)とP-2J対潜哨戒機が出動しました。

11月27日に5インチ砲による第1回射撃(計36発を発射)を開始。

その約2時間後に第2回射撃を実施(計36発を発射)し、

命中する度に爆発が起き、積荷のプロパンやナフサを炎上させました。

その火柱は100mの高さにのぼり、

黒煙は2500mにまで達したといわれています。

第十雄洋丸の側面を破壊して浸水を促すとともに、

積み荷のナフサやLPGを燃やし尽くすことで海洋汚染を最小限に抑え、

また、浮きの役割を果たすのを防ぐためだそうです。

その後、11月28日にP-2Jの編隊が127mmロケット弾12発(9発命中)と

対潜爆弾16発(9発命中)を投下し、甲板に大きな穴を開けました。

本命の「なるしお」が魚雷4本を発射しましたが、

1本目は魚雷が発動しない機械故障により艦外へ放棄、

2本目と3本目は手続き省略発射で命中し、

4本目は「第十雄洋丸」の喫水が予想より浅くなっていたため船底を通過。

そして、護衛艦部隊からの3度目の艦砲射撃

しかし、こんなに攻撃をしても沈没には至らず、

日没の時間が迫ってきたため、上層部は増援を要請しました。

しばらくすると、第十雄洋丸の爆発の回数は増え

後部甲板が一気に沈み込み始めました。

18時47分、20日間炎上し続けた「第十雄洋丸」は

犬吠埼灯台の東南東約520kmの海域に

海底6000m深く沈没しました。

第十雄洋丸事件のその後は?

この事件は、当時日本最大級のLPGタンカーの積荷が爆発炎上、多数の死者を出した他、

東京湾航路の根幹とも言うべき中ノ瀬航路を事実上、

閉鎖状態にするという重大な事態を招いたために

運輸省横浜地方海難審判庁(当時)によって指定重大海難事件とされて

海難審判の対象となりました。

(Wiki)

「本件衝突は、パシフィック・アレスの不当運航に因って発生したが、

第十雄洋丸船長の運航に関する職務上の過失もその一因をなすものである」を主文とし、

事故の主たる原因が、

パシフィック・アレスの不適当な航路の横切りにあることを認めながらも、

第十雄洋丸船長が

衝突を回避するための最大限の努力を怠った責任を追及する内容を理由として

第十雄洋丸船長の船長免状の効力を1ヶ月間停止することで確定しました。

また、この事件を教訓に

消防船「かいりゆう」「すいりゆう」を追加で造船。

現場指揮能力と船舶の曳航能力を持った、たかとり型巡視船が2隻建造・配備。

ひりゆう型消防船を補完するぬのびき型消防艇が10隻建造、全国各地に配備されました。

そして、羽田特殊救難基地の前身となる特殊救難隊が創設されました。



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