具志堅用高の生い立ちや妻との馴れ初めは?身長や引退も。誰だって波瀾爆笑

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具志堅用高 スポーツ選手

こんにちは、ももあぼです。

 

12月16日放送の

誰だって波瀾爆笑では

 

具志堅用高さんの生い立ちについて

まとめてみました。

具志堅用高プロフィール

具志堅 用高(ぐしけん ようこう)さんは元プロボクサーでタレントです。

元WBA世界ライトフライ級王者です。

具志堅用高

https://www.ohtapro.co.jp/talent/gushikenyoko.html

生年月日:1955年6月26日

出身地:沖縄県石垣市

 

血液型:A型

身長:162cm

 

学歴:法政大学(通信教育部)卒業

所属事務所:太田プロ9年目

 

旧琉球王国の士族の家系である具志堅親雲上用易を元祖とする

允氏具志堅家の系譜であり、その子孫は「用」の字がつくそうです。

 

なので、具志堅の苗字は多いそうですが

「用」がつくのは、親戚なのだとか。

 

具志堅用高の生い立ち

お父さんは、カツオ漁師で

自給自足に近い生活をしていたという具志堅さん。

 

 

台風の後に砂浜に行って

靴や草履を拾ってきて履いていて、

普段は裸足で走り回っていたのだとか。

 

 

食べ物には苦労したようで

アヒルや豚を食用に飼っていたそうです。

 

かわいがっていたアヒルは

ある日いなくなってしまって

「悲しかったなぁ…」という具志堅さん。

 

しかし、アヒル汁は美味しかったそうです。

 

中学校でバイト生活

石垣市立石垣中学校に入学したときは

坊主頭だった具志堅さん。

 

魚やセミも獲って、焼いて食べていたのだとか。

 

「焼いてカリカリにするの。羽根を2つとってね」

 

「8月の沖縄のセミのうるささは、半端じゃないから。

”うるさい!”と言って食べたそうです。」

 

しかし、カブトムシの幼虫は、無理なのだそう。

 

 

アルバイトは、家計を助けるために

日給50セント(約650円)の

パイン畑労働を8時間していたのだそうです。

 

 

パイナップルの収穫は

カゴを背負って手づかみでもいでいたそうですが

トゲが痛くて傷だらけになりながらも

1日100個ほど収穫し、運搬していたようです。

 

 

50セントはかなり魅力的で

当時は映画が2回観られたのだそうで

お正月のために貯金していたそうです。

 

 

ボクシングとの出会い

高校は、那覇市の興南高等学校に進学。

 

体育の成績は「5」

体育の先生になりたかったそうですが

 

受験当日、試験用紙に名前を書き忘れてしまい

地元の公立高校に落ちてしまったのだとか。

 

 

野球部志望でしたが、身長を理由に断念。

 

ボクシング部は、マネージャー3人がかわいかったのだそうで

縄跳びをしながら見えるテニス部の女の子もかわいかった

という不純な動機からはじめたそうです。

 

 

 

高校2年生(17歳)のときに

沖縄県大会で優勝し

山形インターハイに出場します。

 

この年、沖縄県は返還されたところでした。

2泊3日かけて、東京まで移動し

上野駅から夜行で山形の酒田南高校へ。

 

 

最初は外国人と思われていたようで

「英語使うんですか?」

「本当に高校生ですか?」

と、言われたそうです。

 

メンバーの顔が濃く、ハーフだと思われていたそうで

相手がビビっていたそうです。

 

ちなみに、「英語使うんですか?」と

聞かれた際に、具志堅さんは「NO!」と答えています。

 

 

3年生のインターハイでは

圧倒的な強さで優勝。

 

沖縄に凱旋すると母校では

全校朝礼も紹介され一躍人気者になりました。

 

メダルは毎日持って行っていたのだとか。

プロのボクサーに

1974年、推薦で入学した拓殖大学に進学するために

上京した具志堅さん。

 

羽田空港で協栄ジムのマネージャーに連れ去られてしまいます。

 

協栄ジムでは、記者会見の準備がされていました。

何もわからず、フラッシュがたかれる中座っていたそうです。

 

すると翌日の新聞には「具志堅プロデビュー」の文字が。

ご本人は新聞に載っているのが嬉しかったそうです。

 

 

当時、拓殖大学と協栄ジムでは

選手の争奪戦がすごかったようですね。

 

 

プロデビューから1年半で日本チャンピオンになりますが

私生活はチャンピオンになるまで

とんかつ屋さんで住み込みでアルバイトをしていたそうです。

 

 

この頃には、ヘアスタイルは今の具志堅さんの

アフロヘアになっていました。

 

実は、上原兄弟に憧れてアフロを真似たのだそうです。

 

世界タイトルに挑戦

デビュー9戦目、21歳の若さで

世界チャンピオンに初挑戦します。

 

 

相手は、”リトル・フォアマン”の異名を持つ

WBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)選手です。

 

具志堅さんの愛犬もグスマンですが

ここからの名前なのでしょうか。

 

 

実は、決選前夜に緊張して部屋にいられなくなった具志堅さん。

 

チャンピオンはホテルに泊まっていたそうですが

挑戦者の具志堅さんの泊まっていた旅館は、まわりがブドウだらけでした。

 

さすが、山梨ですね。

 

そして、散歩中にブドウを発見し

つい口に入れてしまった犯行現場を見られて

「コラー!」っとこっぴどく怒られてしまったようです。

 

 

石垣島に住んでいた頃は

畑にできているグアバやサトウキビ、キュウリなどを

かじって暮らしていたため

当時は悪いことをしたと思っていなかったようです。

 

 

世界チャンピオンになったら

そのブドウ農家の人が「食べてくれ」と

ブドウを持ってきてくれたそうです。

 

 

なので、チャンピオンになったときのことを

思い出すのは、ブドウの味なのだとか。

 

世界チャンピオンになり生活が激変?

 

とんかつ屋の常連客から

「姉の入院費で80万円が必要だ」と言われて

80万円を渡してしまったそうで

 

そのお客はそれから姿を見せず

会社も辞めてしまっていたのだとか。

 

 

20年後、具志堅さんが入院した際に

お見舞いにくるも「大丈夫?」というだけで

お金は戻ってこなかったのだそうです。

 

 

 

また、チャンピオンになると

急に親戚や同級生が増えてしまったそう。

 

そして、3万4万と平気でお金を貸したのだそうです。

 

23歳のときの自宅には

100万くらいするオーディオセットもあったそうです。

 

具志堅用高の奥さんとの馴れ初めや結婚は?

ジムの近くにいた女性で

練習終わりの銭湯の帰りに

 

「きれいな女性ががよく通ってるな」と思っていたそうで

声をかけたのがきっかけだそうです。

 

年齢は、1歳年下の香澄さん。

 

具志堅さんの猛烈アタックで

交際1年半でのスピード婚となりました。

 

25歳のとき「いっしょになろう」とプロポーズしたそうです。

 

 

実は、当初香澄さんは

「具志堅」という名字にちょっと困惑していたそうです。

 

 

しかし、結婚式は、

世界戦13度防衛のチャンピオンというだけあって

 

5mのウエディングケーキの上には

カンムリワシをかたどった金色のオブジェ。

 

引き出物は、カンムリワシの純金ネックレス。

 

カンムリワシ披露宴の金額は4億5000万円だったそうです。

 

カンムリワシは、初めて世界王者になった際に

「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」

と話したことから「カンムリワシ」の異名がついたそうです。

 

具志堅用高の引退

世界タイトルマッチを15戦している具志堅さん。

試合のたびにファイトマネーが上がっていき

10回防衛以上は、億超えだったそうです。

 

 

高額納税者ランキングでは、

1位が王貞治さんで、2位が具志堅さんだったそうで

7000万円もの税金を払っていたのだとか。

 

 

 

唯一負けたのが、地元沖縄で行われた世界王座防衛戦。

 

試合前に一番欲しい物は、アイスクリームなのだそうで

それを取り上げられてしまい「もうやめたい」と思ったそうです。

 

 

具志堅さんは、計量後は

ステーキ250g、スッポンの生血、鰻を食べ、

最後に必ずアイスクリームを食べることにしていたそうで

 

普段は来ない金平会長がやってきて

「沖縄は暑いから(すぐに溶けてしまう)」と

アイスクリームを取り上げてしまったそうです。

 

 

また、

「あの時アイスクリームを食べていれば、20回は防衛できた」とも発言しています。

 

 

最近では、クイズ番組などでの活躍の方がすごくて

面白いオジサンの印象の方が強いですが

 

ボクシング界ではすごい人だったんですね。(失礼)

 

でも、今の具志堅さんも面白くって素敵だと思います。

これからの活躍も楽しみにしています。

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