イメルダマルコスは女帝で悪女?デヴィ夫人との関係や現在は?



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こんにちは、ももあぼです。

4月15日放送の「1番だけが知っている」は、世紀の女帝イメルダマルコス。

フィリピン共和国10代大統領夫人でした。

20年の長期政権で夫マルコスと行ったのは、超独裁政治でした。

デヴィ夫人との関係や現在は?

贅沢な暮らしぶりや転落・暗殺は?ということでまとめてみました。

イメルダマルコスWikiプロフィール

イメルダ・マルコスは、フィリピン共和国の政治家です。

(番組より)

生年月日:1929年7月2日

出身地:フィリピン・マニラ

イメルダマルコスの生い立ちは?

イメルダの父は貧しく、腹違いの兄姉が5人おり、その後 弟と妹が5人できたので、11人兄弟ということでしょうか。

彼女が9歳の時に母が肺炎で他界。

生活がままならなくなった家族は、レイテ島・タクロバンへ移住しました。

イメルダは母の形見の装飾品を売って、生活費にしていたのだそうです。

靴を履けないほどの貧しい暮らし。

イメルダには、「この生活からいつか絶対に抜け出してやる」という気持ちが生まれました。

「貧しい人と裕福人の違いは、靴だ。

内は今貧しい家だ。でも靴だけはちゃんと履いて、高貴な人間でいるんだ。」

なけなしのお金で父に買ってもらった靴。

この父の教えが、靴へのこだわりにつながっていくと言われています。

成長したイメルダは、田舎町のタクロバンでは有名な美女になっていきました。

奨学金を貰いながら大学に通うと、若いころから金や権力に固執するようになっていきました。

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ミスマニラ騒動

大学を卒業すると、銀行員として働いていたイメルダでしたが、ミスコンへ出場し、ミスコン荒らしとなっていきました。

イメルダの目標は、ミスマニラ。

ミスマニラに選ばれさえすれば、いい男が私を選んでくれると思っていました。

ミスマニラコンテストとは、1927年から開催された首都マニラで行われる最大のミスコンです。

ミスマニラコンテストでは、落選。

その会場で、審査員に詰め寄り、自分が1番でない審査結果に異議を申し立てました。

この騒動は、新聞でも取り上げられ、マニラ市長はイメルダのために「マニラの女神」という新たな賞を作ったのです。

ミスマニラにはなれなかったものの、この騒動でイメルダは、その名を大きく世に知られることとなりました。

この騒動以来、イメルダには何人もの男性からプロポーズがありました。

しかし、求める条件を満たす男性はいませんでした。

夫・マルコスとの出会い

24歳の時、国会のカフェテリアで将来有望な国会議員を待ち伏せ。

そこに現れたのが、未来の大統領候補のフェルディナンド・マルコス(27歳)。

初対面のイメルダに、マルコスはその場でプロポーズ。

しかし、イメルダは千載一遇のチャンスを受け入れませんでした。

マルコスと出会った翌日に、100本のバラの花束がマルコスから送られました。

しかし、返事はしませんでした。

その翌日の贈り物にも返事はしませんでした。

電話がかかってきても、あえて旅行に行くとデートを拒否。

その翌日、マルコスが会いに来ても「ほかにも求婚をもとめられている」と冷たい態度。

しかし、再びプロポーズを受け、そこでようやく「あなたと結婚してもいいわ」と主導権を握り、受け入れたのです。

夫・マルコスを大統領にするために

将来有望な伴侶を得たからと言って、夫が大統領にならないとイメルダの夢は叶いません。

では、イメルダはマルコスをどのようにして大統領にしたのでしょう。

結婚後、イメルダはマルコスを支えるために政治・経済・外交を勉強し始めます。

さらにコネクションを広げるために議員の夫人の集まりに積極的に参加。

そこで、マルコスが大統領になる男だということをアピールしました。

イメルダの望み通りマルコスは、45歳で上議員議長に、47歳で大統領選挙に出馬しました。

イメルダはマルコスとともに選挙活動でフィリピン全土を回りました。

有力者から夫の支援を取り付けるのに、イメルダの美貌は役に立ちました。

さらに、自分が貧しい地域出身なのを武器に、貧困層の支持を得ていきました。

歌声でも国民を魅了し、好感度は抜群でした。

結婚から10年。1965年マルコスは、フィリピン共和国大統領に就任。

イメルダは36歳で大統領夫人になりました。

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イメルダマルコスの贅沢生活

大統領夫人となったイメルダは、政府系企業30社の社長に就任。

その会社を通じ、国家予算を年間40億円も横領したと言われています。

また、フィリピン各地で寄付金を集め、着服の疑惑も出ています。

こうしたお金でニューヨーク・クラウンビル1億100万ドル(当時約232億円)、ニューヨーク・ヘラルドセンター6000万ドル(当時約138億円)など各国の大都市の不動産を買いあさり、

自らの資産を運用していきました。

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イメルダのもとに毎日届けられた手縫いのドレスも、刺繍が気に入らないと作り直させ、あまりの過酷な刺繍作業に視力を失う者までいたのだそうです。

しかも、ここまで苦労させて作ったドレスは一度しか着なかったそうです。

イメルダが何よりもこだわっていたのが靴でした。

ヨーロッパの有名な高級ブランド靴を3000足所有。

当時のフィリピンでは、彼女の所有する靴2足で庶民1人分の平均年収になったと言われています。

その他にも、ジャンボ機をチャーターし、お抱えのメイクやデザイナーを同行させて、ブランドバッグや貴金属の買い物に行ったこともあるそうです。

午前中に宝石を1億8000万円、午後から3億6000万円分の買い物をしたこともあったのだそうです。

リアル「ここからここまで全部ちょうだい」の方だったそうです。

デヴィ夫人も驚いたのが、ハリー・ウィンストン(高級宝石店)の宝石をほとんど持っていたことだそうで、パキスタンの大使が「僕はここに就任して6か月経ちますが、6か月間同じ宝石を見たことがありません」と言ったほど。

さらに、宮殿にはディスコを作り、パーティーではアメリカの俳優に歌わせ、夜中に自分の110人のオーケストラを演奏させたという話も。

イメルダマルコスの転落・暗殺事件

当時、フィリピンは激しい貧富の差がありました。

にもかかわらず、イメルダは贅の限りを尽くしました。

次第に、国民はマルコス政権への不信感を募らせていきました。

70年代に入ると、国民の平均所得は大幅に下落していました。

一向に改善されない生活に、フィリピンではマルコス大統領退陣を求める運動が起こりました。

しかし、この状況でマルコスは

「私は1972年9月21日付けで、大統領令 1081に署名した。フィリピンに戒厳令をしく」

とし、反対制派の人々を軍の力を持って制圧。拷問・投獄していきました。

そして、自分たちの政権維持のため三選禁止という大統領の任期に関する法律を改正し、独裁政権となっていきました。

イメルダ暗殺未遂事件

この日イメルダは、表彰式に出席。

式典の檀上に男が現れ大ナタを振り回しました。

イメルダはこの事件で、腕など75針を縫う大けがをしてしまいます。

「どうして私を殺すのに大ナタみたいな醜い凶器を使うのよ。

どうせなら、黄色いリボンがついているようなオシャレな武器がいいわ」と後のインタビューで答えています。

夫マルコス大統領にも肝臓の病が発症。

その噂はすぐさま国民にも広がり、政権交代の機運が一気に高まりました。

その筆頭候補として名前が挙がったのが、反マルコス派のベニグノ・アキノ氏。

デヴィ夫人によると、実は、最初にイメルダが狙っていたのはアキノ氏だったようです。

かつてイメルダは、アキノ氏に好意を寄せていたというのです。

なんていうか、イメルダさんの嗅覚がすごいです。。。

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アキノ氏暗殺事件

反マルコス派の筆頭であったアキノ氏は、マルコスによって国外に追放されていました。

このとき、政権交代の声は、止められないほど激化していました。

1983年8月21日、アキノ氏が追放されていたアメリカからフィリピンに帰国。

マニラ空港に降り立った時、突然の銃声により頭を打ちぬかれてアキノ氏は即死。

暗殺されました。

マルコスとイメルダの関与が疑われました。

もちろん、事件の関与については一切否定。

しかし、デヴィ夫人は

「自分たちの存在、地位を揺るがす本当に邪魔な存在だったので、イメルダさんが(暗殺の)指示をしたとしても、不思議ではない」というほど、強権ぶりだったそうです。

不正選挙

このアキノ氏暗殺事件により、国民の怒りが爆発。暴動が各地で起こりました。

暴動を治めるため、マルコスは繰り上げ選挙の実施を発表。

対抗馬は、アキノ氏の妻であるコラソン・アキノ氏でした。

反マルコス派は、どんどん増加していきました。

マルコス陣営は圧倒的劣勢でしたが、不正選挙により勝利。

アキノ氏の支持者を選挙人名簿から消すなどして、不正に投票数を操作していたのです。

その数は、40万票と言われています。

この不正選挙に、フィリピンでは大規模な反マルコスデモが巻き起こりました。

アキノ氏のシンボルカラーである、黄色を身に着けた市民50万人、反政府軍がクーデターを決起しました。

最終的に、アメリカが介入し、アキノ氏を大統領とする新政府を認めたため

1986年2月25日、反マルコス派の100万人の大集会が開かれ、宮殿にも群衆が押し寄せました。

イメルダとマルコスは、ハワイに亡命。

亡命の2年後、イメルダは、フィリピン政府から盗み取った恐喝及び横領罪で起訴されました。

その裁判でも、何回も失神したり泣いたりして中断するという役者ぶり。

そして、証拠不十分で無罪になりました。

1989年、マルコス元大統領は、72歳で死去。

イメルダマルコスの現在は?

1991年、イメルダは政府の許可を得てフィリピンに帰国。

翌年の1992年に大統領選挙に出馬するも落選。

1995年には、幼少時代を過ごしたレイケ島から下院議員に立候補し当選しています。

現在は、まもなく90歳になるのだそうですが、マニラにある自宅で過ごしています。

さらに、マニラの豪邸の他にも高級マンションや別邸も所有しており、反イメルダ派も多く、行動もある程度は制限されているとはいえ、豪華な生活を送っていそうですね。

毎回、デヴィ夫人の交友関係には驚かされますね。

お2人とも大統領夫人だったので、親交は深かったようですね。

美貌を武器に、大統領夫人の座に上り詰めたイメルダさんですが、若い時の写真を見ると、やっぱりデヴィ夫人の方が、目がぱっちりしていて美人さんに見えます。

それにしても、こんなにバイタリティ溢れる女性って、他にいないような気がします。



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