松橋事件は冤罪無罪!宮田さんの現在と真犯人はどうなるの?

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テレビ

こんにちは、ももあぼです。

熊本県松橋町(現宇城市)で1985年、男性=当時(59)=が刺殺された松橋事件の裁判をやり直す再審で、熊本地裁(溝国禎久裁判長)は28日、殺人罪などで懲役13年が確定し服役した宮田浩喜さん(85)に無罪判決を言い渡した。

今年2月の初公判で、検察側は「自白の重要部分が客観的事実と矛盾し、疑義が生じた」との司法判断が確定したことを挙げ、「裁判所に適切な判断を求める」と述べるにとどめ、殺人罪については求刑しなかった。地裁は検察側が申請した証拠の大半を採用せず、即日結審した。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190328-00000043-kyodonews-soci

松橋(まつばせ)事件とは?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190328-00000043-kyodonews-soci.view-001

1985年1月8日、熊本県松橋町(現宇城市)で男性が町営住宅で刃物で刺されて死亡していました。

 

その男性の知人で、3日前の夜に男性と口論していたとされた宮田浩喜さんが殺人を認め、殺人容疑で逮捕されました。

 

熊本地裁の公判中に否認しましたが、1990年に懲役13年の刑が確定しました。

 

宮田さんは、刑期を終えた後の2012年3月に熊本地裁に、再審請求ました。

弁護団は、凶器と傷口の矛盾点や自白の信用性に関する疑問を指摘したそうです。

 

 

2018年10月、最高裁が検察側の特別抗告を棄却し、再審査の開始が決まりました。

検察側は、有罪立証しない方針で、今回無罪判決が言い渡されました。

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1度殺人を認めたのはなぜ?

当初、殺人を自白していた宮田さん。

 

自白した理由を

「取り調べに耐えられなかったため」と訴えています。

 

30年以上前ですし、過剰な取り調べがあったのでしょう。

 

 

凶器と傷口の矛盾点とは?

弁護団は、1997年に検察が開示した証拠の中から

宮田さんが「犯行時に凶器に巻き付けて使った後で燃やした」と供述していた、シャツの左袖を発見。

 

凶器とされていた小刀と傷口が一致しないという鑑定結果を得ました。

そして、2012年に再審請求。

 

2016年に、熊本地裁は「自白の信用性を認められなくなった」とし、再審開始を決定。

2018年に、最高裁も支持して、再審開始が確定。

 

2019年2月の再審初公判では、検察側が殺人罪について有罪立証をせず、即日結審していました。

松橋事件の真犯人について考えてみた

当時59歳の男性が亡くなったと思われる時刻は、1月4日から6日。

首などを複数回刺されているようでした。

 

宮田さんは、亡くなった男性の知人で、1月5日に友達数人と食事をしています。

その際に、口論をしているようです。

 

確かに状況は怪しいと言えるでしょうが、決定的だとはいえませんね。

そこで警察は、1番疑わしい宮田さんを執拗に取り調べて自白させたのでしょうね。

 

ん~年明けたばかりだし、訪ねてくる人や会う人も多いと思うんですが。

 

亡くなった男性の年齢が59歳で、宮田さんが51歳。

もし、友人・知人の中での怨恨だとすると、34年経っていますし亡くなっていてもおかしくありません。

 

もし、真犯人が見つかったとしたら、どうするんでしょう。

 

2010年4月時効廃止方が成立。

「人を死亡させた罪であって(法定刑の最高が)死刑に当たる罪」については公訴時効が廃止。

それ以外の「人を死亡させた罪」については、これまでの時効期間を2倍に延長するなどとしています。

 

後者だと、34年経っているので時効期間を2倍にしたとしても、時効になってしまいます。

 

いやいや、罪もない人が変わりに刑務所入っていたのに、名乗り出なかった刑(仮)もつけて重い罪にしてほしいです。

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宮田さんの現在は?

熊本市内の高齢者施設で寝たきりの生活を送る宮田さん。

1999年の仮出所後に2度の脳卒中を患い、右半身まひや認知症に苦しんでいるそうです。

 

宮田さんは施設入所後の17年には最重度の要介護5に認定された。徐々に身体が硬くなり、今では両手ともにコップすら持てず、会話もできない。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/松橋事件-宮田さん「生きているうちに無罪」-支援者「万感の思い」/ar-BBVjQJB?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp#page=2

 

宮田さんの次男は、

「あと2年早ければ、この場にいたのはずっと父を支えた末に亡くなった兄だった。

さらに2年早ければ、おやじも裁判を理解できたはずだ。

検察には一言でも父に謝ってほしかった」と話しています。

 

また、宮田さんを長くみてきたヘルパーさんは

「法廷で直接判決を聞きたかったはず。もっとこの日が早く来れば良かったのに」

 

そして、花好きだった宮田さんにバラやカーネーションの花束を贈りました。

「伝わったかどうかは分からない。でも生きているうちに無罪になり本当に良かった」

 

無罪を勝ち取ったのに、宮田さんは理解できていない…ということでしょうか。

切ないです。。。

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