曽根幸明(妻太田きよみ)の病気や相続問題、前妻は?娘は曽根由希江!

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テレビ

こんにちは、ももあぼです。

 

4月19日放送の爆報THEフライデーは

作曲家の遺産相続問題として、大物作曲家Sとは曽根幸明さんのことのようでした。

 

作曲家の曽根幸明さんは2度結婚しており、前妻と後妻・太田きよみさんが、印税をめぐって争ったそうなのです。

 

大物作曲家の印税…すごそうですね。

 

それでは、曽根幸明さんとその妻・太田きよみさんについて。

曽根幸明さんの病気・闘病生活について。

前妻やその権利についてもまとめてみました。

 

曽根幸明のプロフィール

曽根 幸明(そね こうめい)さんは、作曲家です。

https://ameblo.jp/sone-yukie/entry-12268053600.html

生年月日:1933年12月28日

没年月日:2017年4月20日

 

出身地:東京都世田谷区

学歴:日本大学文学部 中退

経歴

父は、NHK交響楽団のバイオリニスト、母もピアニストの音楽一家で、幼少期は父にスパルタでピアノを叩き込まれたのだそうです。

しかし、戦後間もなく両親が離婚。

 

小学6年生のときに、疎開先の福井から、千葉・習志野まで母を探しに行ったのだそうです。

終戦半年ほどは、浮浪少年をしていましたが、所在がわかり母と合流。母方の「曽根姓」にしたのだそう。

 

近くに駐屯地があり、進駐軍の乱暴狼藉に大人が耐えかねる中、愚連隊メンバーに加わった曽根さん。

米軍の施設に忍び込み、弾丸や真鍮のスクリューを盗んで金にしたり、米軍施設爆破事件を起こしたりしたそうです。(死者はでていません)

 

結果、関東特別少年院練馬鑑別所に送られたのが18歳。9か月収監されていた間、ギターを片手に作っていたのが、「夢は夜ひらく」の前身「ひとりぼっちの歌」だそうです。

 

1959年から「藤田功」の名で歌手・俳優活動をしていましたが、勝新太郎氏(川内康範氏とも)に「お前、ピアノ弾けるんだろ、なら作曲やってみろ」と進められ、本名の「曽根幸明」で作曲家としての活動を始めました。

 

川内康範氏には、1970年森進一さんの「銀座の女」、1974年勝新太郎さんの「座頭市の歌」などヒット曲の詩の提供を受けています。

 

そして、練馬少年鑑別所で唱われていた俗曲を補作した、藤圭子さん、園まりさんなど「夢は夜ひらく」の他、細川たかしさん「いつかどこかで」、山川豊さん「流氷子守歌」も代表作です。

 

また、松平健さんが歌う「マツケンマンボ」の作曲もされています。

 

「象印スターものまね大合戦」で審査員としてテレビに出演するなど、親しみやすいキャラクターで人気を博しました。

 

2002年に脳梗塞で倒れて以来、15年の長い闘病生活の後、2017年4月に肺炎のため亡くなりました。83歳でした。

 

藤圭子さんは、宇多田ヒカルさんのお母さんですよね。

藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」は、オリコン10週連続1位、1970年度年間3位の大ヒット。「夢は夜ひらく」は、いろんな方が歌っていて、歌詞の異なる「夢は夜ひらく」は32曲もあるそうなんです。

 

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それでは、曽我幸明さんの奥さんについても見ていきましょう。

曽根幸明の妻・太田きよみのプロフィール

太田きよみ(おおた きよみ)さんは歌手です。

https://ameblo.jp/akkar/entry-11030142640.html

本名:曽根 喜代美(旧姓・太田)

生年月日:1953年5月15日

 

経歴

1970年、お色気アクションドラマ「プレイガール」のゲストとして、篠雪子名義でデビュー。

1971年、「プレイガール」のレギュラーになるが、出演者の桑原幸子(ゆきこ)と名前が重複するため、太田きよみに改名。

仮面ライダーにも出演したことがあるのだそうです。

(Twitterより)

橘モナとして歌手デビューするも、山崎一美を経て、元の太田きよみに改名。

歌手として活躍をしていた時に出会った、作曲提供者の曽根幸明さんと結婚し休業。

 

2人の間には、2人の兄妹がいて、娘さんは、歌手・曽根由希江さんです。

お兄さんは結婚されていて、5歳になるお孫さんもいるそうです。

 

現在は、曾根 きよ美(そね きよみ)名義で歌手活動を再開されています。

 

 

曽根幸明の病気や闘病生活は?娘・曽根由希江の夢は夜ひらく

(Instagramより)

曽根幸明さんのWikiには「病気治療のため一線を退いた」と書かれていましたが、娘である曽根由希江さんのブログを見るからに、壮絶な闘病生活だったことがわかりました。

 

脳梗塞、心筋梗塞、バイパス手術、

前立腺ガン、敗血症、帯状疱疹、糖尿病など

数々のことをくぐり抜け、生き抜いて、

私達は父のことをもはや“不死身の男”と呼んでいました。笑

(曽根由希江さんのブログより)

また、ブログでは

片目を失明していたこと、耳が聞こえなくなっても由希江さんのラジオや音楽を聴いてくれたこと、

半身不随でも譜面を書こうとしたこと、ピアノを弾こうとしたこと

いつも母を大声で呼んでいたことなどが書かれていました。

 

これだけでも曽根さんが家族や音楽を大事にしてきたことが伝わります。

 

そして、奥さんのきよみさんが15年もの間、献身的に支えてきたこともわかりました。

 

父があそこまで頑張れたのは

間違いなく、我が母がいたからです。

介護も人への愛情も温もりも

明るい声も太陽みたいな笑顔も、

あそこまで一生懸命出来る人はいません。

(曽根由希江さんのブログより)

 

こちらは、娘・曽根由希江さんがラジオで歌われた「夢は夜ひらく」です。

そこに遺産相続問題って、一体どういうことなのでしょう?

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曽根幸明の遺産相続問題!前妻の権利は?

今回、爆報THEフライデーでは

14年に及ぶ不倫生活の末に略奪婚をした妻が 印税をめぐり前妻と直接対決!

衝撃の結末が!

https://tv.yahoo.co.jp/program/57169184/

と、ありました。

 

曽根幸明さんの結婚・離婚・前妻についても調べてみましたが、その年など書かれたものはありませんでした。

また、太田きよみさんが、14年に及ぶ不倫生活の末に略奪婚をしたということにも驚きです。

 

太田きよみさんとの出会いは、「橘モナ」として歌手活動をしていた1973年「私は蜘蛛の糸」(作曲を曽根幸明)とすると、不倫14年で1987年に結婚?

 

第二子である娘・由希江さんは1985年生まれですから、前妻との籍が抜けていなかった可能性もありますね。

 

 

曽根幸明さんが作曲家として成功の始まりは、1966年園まりさん「夢は夜ひらく」のヒット。

 

「この曲のヒットがあと1年、いや半年遅れていたら、借金で首を吊っていたかもしれないし、現在の曽根幸明も存在しなかっただろう」

と、自伝で話されていることからも、それまでの生活は困窮していたようです。

 

前妻さんとの結婚、結婚年数はわかりませんが、売れない借金生活を支えていたとしたら、

売れ出したら若い子と不倫して、14年間もこそこそ付き合っていたなんて…と思うと、はらわた煮えくりかえりそうですね。

 

ただ、離婚した前妻には相続権はないので、問題となるには、前妻との間にお子さん(相続権がある)がいらっしゃるのかもしれませんね。

 

直接対決ということで不穏な感じもしますが、お2人ともが曽根さんを支えてきたのだと思いますし、できるだけ穏便に解決の方向にすすんでいけば…といち視聴者として思います。

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