榊原郁恵の夏のお嬢さんのトラウマと因縁とは?作曲家・佐々木勉とは?爆報フライデー

こんにちは、ももあぼです。

12月21日放送の

爆報THEフライデーでは

あの名曲の裏側として、榊原郁恵さんが出演します。

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榊原郁恵プロフィール

榊原郁恵(さかきばら いくえ)さんは、歌手・タレントです。

榊原郁恵

http://www.horipro.co.jp/sakakibaraikue/

本名:渡辺 郁恵 (旧姓・榊原)

生年月日:1959年5月8日(59歳)

出生地:神奈川県川崎市

身長:155cm

血液型:B型

趣味:野菜作り

1976年、17歳の時

ホリプロタレントスカウトキャラバンの第1回大会で優勝。

芸能界デビュー。

同期の、高田みづえ、清水由貴子とともに

フレッシュ3人娘と呼ばれました。

夏のお嬢さんの榊原郁恵の因縁は?

代表曲といえば、

1978年発売の7作目シングル「夏のお嬢さん」。

当時、19歳でした

輝く笑顔と可愛らしい振付で

世の男性のハートをわしづかみにしました。

しかし、名曲「夏のお嬢さん」誕生の裏にはトラウマがあり

それ以来30年、新曲はリリースされていません。

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榊原郁恵のトラウマ・因縁の相手は?

天才作曲家 佐々木勉からのダメ出し。

佐々木さんの代表曲は、

「別れても好きな人」や「3年目の浮気」など

人気曲の天才作曲家。

さらに、審査員として郁恵さんをスカウトキャラバンで見出し、

デビューから音楽ディレクターを担当していました。

しかし、1978年ある事件が。

それは、「夏のお嬢さん」レコーディングでの事。

この頃郁恵さんは、寝る間もないほど忙しいトップアイドルでした。

そんな中、レコーディングに臨むと

「もう一回」

「もう一回」

と、何度もやり直しが続きました。

終いには「やる気のない顔して。夏のお嬢さんのイメージとは程遠いな!」

疲れた郁恵さんの姿に、佐々木さんが激高。

「君はやる気があるのか。笑って歌いなさい」

レコーディングは夜遅くまで続きました。

以来、レコーディングが大の苦手になってしまったのだそうです。

笑顔で勉さんと話した記憶がない、と郁恵さん。

怖い印象しかなかったのだとか。

佐々木勉さんは、この曲の発売から7年後の

1985年3月11日に病気で急死しています。

そのため、郁恵さんの芸能人生に

解決されない疑問として残ってしまいました。

佐々木勉の妻からの手紙

佐々木さんの妻のジュンさん。

実は、笠間ジュンさんとして

「夏のお嬢さん」の作詞を担当していたのです。

つまり、「夏のお嬢さん」は、夫婦共作だったのです。

今回、佐々木ジュンさんが郁恵さん宛に手紙を書いてくれました。

一筆申し上げます。

はち切れそうな若さと、お行儀の良さと

貴女は特別なお嬢さんでしたね。

なのに郁恵さん

ベンさんはそんなに恐かったですか

記憶を手繰り寄せると

御家族の中で 只ひとり 芸能界入りを応援してくださったお父様

そのお父様のお気持ちに応えたかったのかも知れません

実は、郁恵さんは、家族の反対を押し切って芸能界入りしていました。

そんな中、唯一応援してくれたのが父・善明さんでした。

父は、仕事帰りに所属事務所に立ち寄り

スタッフに菓子折りを差し入れをしていました。

ファンレターのあて名書きを手伝ったりしていました。

第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンの審査員を務め、貴女を選びました

お嬢さんをお預かりした責任

御家族に心配をかけてはいけない

学業と仕事の両立を全うさせたい

人としても成長してほしい

故に自分の役割は厳しく接する事

それが課せられた責務と心に決めたのでしょう

佐々木さんは、応援してくれている郁恵さんの父親のためにも

あえて心を鬼にして厳しく接したのです。

1980年郁恵の父・善明さんは

「夏のお嬢さん」発売の2年後に他界。

以来佐々木さんは、父のような気持ちで

見守っていたそうです。

郁恵さんの今を見たらどんなに喜ぶ事か

どうか情熱を持ち続け

やめない人でいて下さい

多分 お父様とベンさんの願いです

まとめ

10代の時のトラウマですし

わからないまま不安だけが大きくなっていった感じでしょうか。

佐々木さんにしても

父親のような気持ちはあったにせよ、

夫婦の共作(多分自信作)をもっとちゃんと歌ってほしいって

気持ちはあったんじゃないのかなって思いました。

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