柴田章吾は難病と闘う高校球児!現在は?

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sibatasyougo スポーツ選手

こんにちは、ももあぼです。

 

8月14日放送の「衝撃のアノ人に会ってみた!」では

1万人に1人の難病と闘った高校球児!甲子園出場を果たした後…

 

と、いうことで、難病・ベーチェット病と闘った、柴田章吾さんについてです。

 

柴田章吾(しばたしょうご)プロフィール!

sibatasyougo (柴田章吾密着900日より)

生年月日:1989年4月13日(30歳)

出身地:三重県いなべ市

(出生地は愛知県名古屋市)

 

血液型:O型

 

身長:175cm

体重:80 kg

 

経歴

三里小2年から、野球を始めます。

 

鈴鹿リトルを経て、四日市トップエースに移り

小6の時に投手として全国制覇。

 

天才投手として騒がれた矢先、大安中3年の時に

厚生労働省指定の難病「ベーチェット病」を発症します。

 

全国レベルの強豪10校以上が入学を勧めてきましたが、

医師から強豪校に進んで野球をするのは無理だと告げられたそうです。

 

闘病しながら野球を続け、

2年生春からベンチ入り、3年生夏に甲子園に出場しました。

 

甲子園出場時には

「甲子園で投げて、全国でこの病気に苦しんでいる人を勇気付けたい」

 

明治大学卒業後、プロ野球ドラフト会議で

読売ジャイアンツから育成3位指名を受け、投手として入団。

年俸240万円、支度金100万円(推定)。

 

指名を受けての会見で

「同じ病気と闘う人たちに勇気や希望を与えることができれば」と語っています。

柴田章吾の難病ベーチェット病とは?

ベーチェット病は、皮膚や粘膜に急性の炎症を繰り返す慢性の疾患です。

 

口腔粘膜のアフタ性潰瘍、外陰部潰瘍、皮膚症状、眼症状の4つの症状を主症状とする慢性再発性の全身性炎症性疾患。

副症状として消化器症状、神経症状、血管炎症状などが出現する場合があり、再燃と寛解を繰り返す病気。

https://entrenet.jp/magazine/18493/

 

原因も治療法もわかっていません。

 

 

柴田章吾さんが発病したのは、中学3年生の春。

中学3年時、全日本選抜(日本代表)にも決まり、海外遠征も控えていた柴田さん。

 

ある日、突然ものすごい腹痛に襲われ、胃腸炎と診断されるも

症状は悪化し、40度の高熱が出て、口内炎が20個ぐらいできたのだそうです。

 

そして、病院で再びしっかりと検査をすると

厚生労働省指定の難病である「ベーチェット病」を発症していることがわかりました。

 

すぐに入院生活に入り、60キロ近くあった体重は、48キロまで落ちたそうです。

 

 

中学最後の1年間は

出席日数の半分程度しか学校に行くことができなかったそうです。

 

 

この病は、失明や死の危険性があり、

ストレスで増悪するため、過去にスポーツをやった人はいません。

医師からも、「野球を続けたら死ぬかもしれない」と止められたそうです。

 

しかし、柴田さんは、

「自分は甲子園に行って、同じ病気の人に希望を与えられるよう頑張る」と決めたそうです。

 

 

強豪校から声がかかるも、病気のことを知ると、ほとんどの高校が諦める中、

愛知工業大学名電高等学校の監督は、親身になって話を聞いてくれたのだそうです。

 

 

愛工大名電の野球部は、全寮制。

寝食を共にしますが、病気のことは、チームメイトに心配かけまいと秘密でした。

 

練習は無理をしないよう別メニュー。

寮の1番人気のキムチ鍋は、刺激物が食べられないため、別の小鍋。

 

高校に入っても入院することはあり、おかゆを食べていたり、大量の薬を飲んでいたため、

チームメイトも薄々大変な病気であることは、気づいていたようです。

 

柴田章吾と甲子園

柴田さんは、2年生の夏に控えのピッチャーとしてベンチ入りしますが

発表の当日、体調を崩して入院してしまいます。

 

春の選抜に繋がる秋季大会では、東海地区大会2回戦で初登板。

押し出しのフォアボールで逆転負けを喫します。

 

挫折を乗り越え、3年の夏にベンチ入り。

 

愛工大名電では、県大会の開幕日(壮行会?)に

3年生は、お世話になった監督やチームメイトにビデオレターを送るのですが

柴田さんは、そこで病気のことをカミングアウトします。

 

 

チームは、愛知大会を勝ち抜き、甲子園へ出場。

2007年8月11日、柴田さんは甲子園のマウンドに立ちます。

 

結果は、1-3で勝利をあげることはできませんでしたが

チームメイトや監督には、感謝の気持ちしかなかったそうです。

 

実際に、帽子のつばには「みんなのおかげ」とマジックで書かれていました。

柴田章吾の現在は?

https://entrenet.jp/magazine/18493/

2014年10月1日に球団から戦力外通告を受けた柴田章吾さん。

 

現役引退後は、読売巨人軍球団職員として

ジャイアンツアカデミーのコーチとして子供達への野球指導を行っています。

 

また、球団職員として働きながら就職活動を開始。

 

2016年4月から、外資系総合コンサルティング企業のアクセンチュア株式会社へ転職。

経営・ITコンサルタントとして従事しています。

 

将来はメジャーリーグの経営に携わることを目指していくそうです。

 

Wikiによると、

主症状に関しては寛解・再燃を繰り返す事が多く、

10年くらいたつと病気の勢いは下り坂となり、20年くらいをこえるとほぼ再燃しないと言われているそうなので

 

柴田さんもお薬は飲み続けているのかもしれませんが、体調は安定しているのかもしれませんね。

 

フィリピンで野球教室も

現役を引退後、球団職員になるまでの間、

英語を学ぶために、イギリスやフィリピンにホームステイをしていた柴田さん。

 

フィリピンのホームステイ先で、野球をやっている子ども達がいて、

「野球を教えるので僕に英語を教えてください」と交渉してみた結果

野球コーチをしながら英語を学ぶ、という生活をしていたそうです。

 

そのうち「フィリピンの日本人学校で野球教室をやってほしい」

と頼まれることが多くなり、野球教室の規模を大きくしていったら、

最終的には同国開催の10歳以下の全国大会でコーチをすることになったそうです。

 

フィリピンだけではなく、シンガポール、バンコクからも依頼されたそうです。

難病と闘った高校球児・柴田章吾まとめ

柴田章吾さんは、中学3年の春に

1万8000人に1人の難病・ベーチェット病にかかってしまいます。

 

運動に制限がかかるため、医師は野球をやめるよう言ったそうです。

それでも野球が好きで、夢を諦めきれなかった柴田さんは、愛工大名電に進学。

 

高校3年生の夏に甲子園に出場します。

 

それだけではなく、明治大学に進学し

育成枠で巨人軍へ入団します。

 

 

引退後は、球団職員としてジャイアンツアカデミーのコーチとして活動。

就職活動をして、外資系総合コンサルティング企業のアクセンチュア株式会社で

経営・ITコンサルタントとして働いています。

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