杉田かおる流介護生活は、寄り添うこと。COPDや自然農の考え、母の最期の願いとは?スッキリ

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杉田かおる スッキリ

こんにちは、ももあぼです。

 

スッキリで近藤春菜さんが「女の生き方を学ぶ」企画

今回は、女優・杉田かおるさんの介護生活についてまとめたいと思います。

 

杉田かおるさんといえば、バラエティー番組で

歯に衣着せぬ物言いで人気者というイメージでしたが

インタビューに答える杉田さんは、落ち着いていて、きれいで

ガラリと印象が変わってしまいました。

 

杉田かおるプロフィール

杉田かおる(すぎた かおる)さんは、女優、歌手です。

杉田かおる

(番組より)

本名:橋本 薫(はしもと かおる)(結婚前本名)
結婚後本名は非公表

生年月日:1964年11月27日(53歳)

出身地:東京都新宿区

身長:157 cm

血液型:B型

配偶者:
鮎川純太(2005年1月 – 8月)
一般男性(2013年12月 – )

所属事務所:オラクル企画

 

経歴

7歳から子役として活躍していた杉田かおるさん。

1972年「パパと呼ばないで」では、チー坊役

1979年(15歳)「3年B組 金八先生」では

妊娠・出産する中学生役も話題になりました。

 

さらに1982年(当時17歳)「鳥の詩」が大ヒット

 

芸能生活は順風満帆でしたが、その裏では

両親が離婚、いじめ、身内の連帯保証人となり

20代半ばで1億円の借金を抱えてしまいました。

 

毒舌キャラでバラエティー番組に出演すると、30代で再ブレーク。

2004年(当時39歳)24時間テレビのチャリティーランナーを務めました。

再ブレークのきっかけは?

杉田かおるさんが30代の頃、

お母さんが最初の発作(病気)で倒れたのだそう。

 

病気が悪化して、がん化しないためには

笑うのが1番いいと言われ

 

母を笑わせるのに1番いいのは

仕事もできて、バラエティーに出れば、がんにならないかも!?

と、思ったのだそうです。

 

お母さんもバラエティーに出ている杉田さんを

喜んでくれて、本当によく笑ってくれたのだとか。

 

 

その甲斐あってか、母・美年子(みねこ)さんは、

バラエティー番組で杉田さんと共演するまでに回復しました。

 

杉田かおる母の病気はCOPD

杉田かおるさんのお母さんは、肺が悪いCOPDという病気です。

COPDとは?

COPD(慢性閉塞性肺疾患)とは

気管支の炎症や肺胞が破壊されるなどすることで

肺機能が低下し、呼吸がしにくくなる病気です。

杉田かおる

(番組より)

症状は次第に進行し、重症化すると呼吸不全に陥ることもあります。

今年亡くなった、桂歌丸さんもCOPDで闘病されていました。

 

日本では、受診患者数は34万人(2001年)。

厚生労働省の統計によると、2005年に14,416人がCOPDにより死亡し、

死亡原因の10位(男性に限ると7位)を占めています。

 

母の余命宣告

母・美年子さんも体力があったので

倒れながらも何とか20年持っていたのですが

年齢と共に回復が遅くなってきて

5年前に重症化。

 

医師から余命4年と宣告されてしまいました。

 

5年前に倒れて、ICUに入った時

お医者様も「ダメかもしれない」と言われ、覚悟したものの

奇跡的に3週間の入院で、在宅酸素治療生活に。

 

そのころ、2013年(当時48歳)、杉田さんは6歳年下の男性と再婚。

幸せな結婚生活は、介護生活の始まりでもありました。

医療と介護の違いは?

保険が別なので手続きが全部別で

大量の書類を書くことになってしまったのだそう。

 

医療

5年前に倒れた時に「1級障害」の認定を受けています。

障害認定をいただくときは、お医者様にいろいろ診てもらいました。

 

介護

介護の場合は、どれくらい動けるか?認知症の度合いも含めて

また別の人が認定します。

 

 

認定をもらっても、ヘルパー介護には限界があります。

母・美年子さんは、当初、

介護認定の区分でいうと最も程度の軽い要支援1でした。

充実した介護サービスを受けることができるのは、要介護1以上が必要です。

 

重度の1級障害でありながら、介護レベルは低いため

介護保険支給額が少なく、利用できるサービスも限られてしまいました。

 

それに加えて、住宅酸素治療生活。

在宅酸素は、医療器具になるので

家族か医療関係者などでないと触ることができません。

 

つまり、ヘルパーさんでは医療機器を触ることができませんでした。

 

母の介護生活にあたり

ヘルパーさんでは、医療機器を触れないというのもあり、

「ドラマの仕事や長期で家を離れるのは無理だなぁという選択になっていきました。」

 

母を自宅で介護するために、

40年余り続けてきた仕事をセーブすることにした杉田さん。

 

「仕事をちょっと減らすことで、

いろんなことをちょっと我慢しなくてはならない

贅沢はできないかもしれないけれど

すごく大事な時間を母と残された時間を

一緒に闘おうと思って。

 

ずっと支えてくれた母を

今度は自分が支えようと決意しました。

介護中の1日のスケジュール

杉田かおる

(番組より)

5時半起床で、夫の朝食づくり

8時には、母の起床・薬・朝食を用意。

午前中に家事を済ませて

 

13時からは日によって主治医や看護師さんが来て

気候がいいと看護師さんと一緒にお風呂に入れる。

 

酸素を測りながらなので、勝手には入れられないのだそう。

 

自分の時間などほとんどないまま、22時就寝。

 

夜も物音で起きて、背中をさすって

苦しさから何とかしてあげたいと祈るような気持ちでベッドに寝かせて。

掃除をしているときも1時間に1~2回は部屋に様子を見に行っていたそうです。

 

辛い思いをさせたくないと、生活の全てを母にささげました。

 

自然農の考えから

そんな暮らしが2年程続き、

過労で倒れてしまうほど肉体的・精神的に限界をむかえたころに

ふと、思い出したのが

 

東日本大震災の年に母の実家の九州に帰って

自然農という農業のことです。

 

自然と沿う

草を敵としない

虫を敵としない農業を勉強しました。

杉田かおる

(番組より)

 

かねてから趣味にしていた自然農の考え方。

野菜を作るっていうのはエゴ。

 

野菜は作るものではなく、自然に育つもので

人間はそれを頂くために、よりよく育つために手を加えているだけ。

 

「これは介護に生かせる!」と思いました。

 

母が一生懸命生きようとしている

死ぬまでいきようとしているのに

寄り添う生き方、これが介護だと思ったのだそう。

 

「してあげる」ではなく

母の生き方に寄り添う。

 

正直、役者のときも

「私ってこの芝居だ」って実感したことありませんでしたが

介護に関しては、「これだ」と思ったのだそうです。

 

 

こういう風に寄り添えば、人は楽になれるって。

だから、やり過ぎない、過剰に助けようとしない

その代わり、寄り添っていく

 

杉田さんの気づきは、

自分だけでなく、お母さんも気持ちが楽にさせていたのだそう。

 

大した介護ではないけれど

お皿洗っている時間は、

 

この時間いつまで続くんだ

 

介護いつまで続くんだろうって思うけれども

 

私が辛くなってしまうと

面倒見てもらってる方もつらいのが空気で伝わるので

私のできることをやるっていう風に自分で納得できれば

相手も喜んでくれるし、安心してくれる。

母の最期の願い

余命4年を過ぎたある日

病院から戻る途中に意識を失い、集中治療室に。

 

またも奇跡的に命をとりとめるが、

ベッドで起き上がることができないほど衰弱していました。

 

にもかかわらず、

「かおるちゃん、私、棺おけまで歩きたいんだけど」

「歩けるようになりたいのよ」

と、母・美年子さんが言うのです。亡くなる3カ月前の事でした。

 

この一言に、「私も信じられなかった」と杉田さん。

この母の状態で、心肺停止のような状態から病室に戻ってきた母が

歩くなんて考えられない。

 

お医者さんとか周りの人も、

80歳過ぎて危篤な状態で

いつ死んでもおかしくない状態で

リハビリなんて絶対無理!と言われたそうですが

 

杉田さんは、母の最後の望みだった気がして

それを実行していただくように、先生にお願いしたら

先生も「棺おけまで歩かせたい」と言ってくれたそうです。

 

こうして、母の最後の望みをかなえるため、

寄り添い、親子でリハビリを始めました。

 

 

亡くなる3カ月前、リハビリで奇跡が。

 

ちょっとずつ筋肉をほぐしてマッサージをし、

1週間ほどで器具を使い歩けるように。

杉田かおる

(番組より)

そして開始2カ月で1人で歩けるようになりました。

最後100m歩けるようになって、

病院の服ではなく私服で「ばっちり」と元気そう。

 

 

また、リハビリを開始して間もなく母からお願いが。

リハビリで先生に会ったり周りの人にも見られるのを気にして

お医者さんに許可を取り、病院に美容師さんを呼んだのだそうです。

 

最後まで自分が頑張っている姿を見せたいって思ってくれたのかな、と杉田さん。

 

最後の方は、好物のお寿司とかを届けて

亡くなる1週間前もお寿司をぺろっと食べたそうです。

 

不意に

「かおるちゃん、私といて楽しかった?」

「楽しかったよ」

「私はもっと楽しかったよ」

それが1番嬉しかったですね、と涙を浮かべる杉田さん。

杉田かおる

(番組より)

 

それから1週間後の2018年1月6日

母・美年子さんは眠るように息をひきとりました。

83歳でした。

 

母と娘の最期の会話は、亡くなる4日前。

使いこなせるようになったスマホのテレビ電話で

「これから私そっちに行くけど、何か持っていくものある?」

「私ね、もうおむつが取れそうなのよ」

「だから、きれいな下着を持ってきてくれる?」

 

「わかった、持っていくわね」

「気をつけてきてね」

 

日常会話。いつも通りの。

亡くなったという感じの劇的な会話ではなかったそうですが

寂しさはない。やれることはやりきったという感じ。

 

寿命というのは、体力的・肉体的なことの限界だと思うので

それを見届けられたので、悔いはない

そういう納得の仕方をしているから、寂しさはないですね。

杉田かおるさんにとって、介護とは?

愛を持って寄り添うこと。

53年間、ケンカもしたし、いろんな嫌なこともあったけれども

母を絶対的に信頼して愛して全力で行くことで

腹を決めて寄り添えることだと思います。

 

「してあげる」ではなく

愛情を持って、対等に寄り添う。

そうすればお互い楽になる

これが、杉田かおる流の介護。

 

杉田かおる流介護まとめ

杉田かおるさんは、女優・歌手です。

お母さんが倒れたのが、ある意味きっかけで

芸能界で再ブレークを果たしました。

 

その後は、懸命にお母さんを支えてこられましたが

余命4年と宣告されてから、介護生活が始まりました。

 

今度は私が支えようと決意したものの

介護生活は大変で、自分も倒れてしまうほどでしたが

自然農の考えを思い出し、

寄り添う介護をすることで、お互い楽になったと

杉田さんは言います。

 

母の願いに寄り添いっていくことで

自分も納得し、やれるだけのことはやったという思いから

悔いはないそうです。

 

少しは思うところがあるかもしれませんが

悔いがないほど寄り添えるっていう考え方が凄いと思いました。

 

どうしても「やってあげている」という考え方になってしまうと思うから。

 

私は介護経験はないけれど

子育てでも、何でも、

自分の体調が万全でなかったり、うまくいかないことが続くと

「わたしばっかり」って思ってしまいますもん。

 

なかなかそこまで「悟る」ことは難しいと思いますが

結果的に、お互いが楽に過ごせたのかもしれませんね。

 

自分の親の介護のことはもちろんですが

子供に介護されるかもしれない立場になった時には

できるだけ「ありがとう」っていっぱい言える人でありたいと思いました。

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