テレサ・テン記念館(台湾)がゴミ屋敷?場所や白人青年恋人についても。爆報フライデー



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こんにちは、ももあぼです。

12月28日放送の

爆報THEフライデーでは

テレサ・テンの記念館がゴミ屋敷状態に!?

また、生前最後の極秘プライベート映像に映っていた謎の白人青年とは?

ということでテレサ・テン記念館の現在の状況について調べてみました。


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テレサ・テンのプロフィール

テレサ・テンさんは、台湾出身の歌手です。

テレサテン

https://www.universal-music.co.jp/teresa-teng/

生年月日:1953年1月29日

死没月日:1995年5月8日

出身地:台湾雲林県龍岩村

本籍:河北省大名県(河北省は父親の故郷、母親は山東省の出身)

血液型:O型

身長:165cm
家族構成:両親、兄3人、弟1人(父の名は鄧枢為、母の名は趙素桂)

幼少期、お母さんが美空ひばりさんの曲をよく聴いていたのだそうです。

10歳の時、ラジオ局主催の歌唱コンテストで優勝し天才少女として注目を集めます。

14歳の時にプロ歌手としてデビューし、レギュラー番組を持ちます。

1973年、舟木稔(のちの彼女の所属レコード会社トーラスレコード社長)は、

足繁く台湾や香港に通ってテレサと両親を説得。

「日本ポリドール」(現ユニバーサルミュージック)と契約します。

1974年(21歳)日本での歌手活動を開始します。

日本デビュー2作目「空港」で、第16回日本レコード大賞新人賞を獲得。

1979年2月、中華民国のパスポートではなくインドネシアのパスポートで来日しようとしたため、旅券法違反で1年間の国外退去処分を受けます。

処分後は、台湾やアメリカ、中国や香港での人気を集めます。

1984年、「つぐない」で日本再デビュー。

「愛人」「時の流れに身をまかせ」を発表し

「日本有線大賞」および「全日本有線放送大賞」の東西有線大賞で

史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞しています。

1987年、住居を香港に移すのと同時に、日本以外での歌手活動をほとんど休止。

1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで

気管支喘息による発作のため死去。42歳の若さでした。

テレサ・テン記念館の場所はどこに?

テレサ・テンさんは、台湾を代表する歌手の一人です。

1970年代から1990年代にかけて、母国中華民国のみならず香港・マカオを含む中華文化圏全域、日本なども含めた東アジア文化圏ならびにその他の地域において

広く人気を博したその業績から、生前から没後も「アジアの歌姫」と呼ばれています。

テレサテン

https://www.excite.co.jp/news/article/Jpcna_CNA_20180112_201801120002/

台湾・高雄市の愛河のほとりに2009年に作られたのが「テレサ・テン記念館」です。

台湾鉄路管理局(台鉄)の施設を借り、彼女の家族(個人)により運営されていました。

となると、テレサ・テンさんのご兄弟が、記念館を運営していたのでしょうか。

記念館では、テレサ・テンさんの衣装や愛車のベンツ

写真、歌手記録などを見ることができます。

中国大陸をはじめアジアの観光客が多く訪れ、1日に2000人近く来訪することもあったそうです。

2015年9月、施設の老朽化により閉館しました。

(契約が切れたとの話もありました)

入館料は無料ですが、閉館前は掃除代として50元取られていたそうです。

家族の方のご厚意なのかもしれませんが、運営していくためにはお金を取ったほうがよかったのでは?と思ってしまいます。

そして、基本は予約制。

兄弟の誰かが、予約の時間になると空けていたのでしょうか。

兄弟の年齢はわかりませんが、高齢になって維持できなくなったのかもしれませんね。

テレサ・テンさんの遺品は、2015年10月から行われた

台北で没後20年の記念展に貸し出されていたようですが、

記念展が終わっても、なかなか再開されませんでした。


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テレサ・テン記念館の現在はゴミ屋敷?

2017年7月に「テレサ・テン記念館」は「テレサ・テン音楽館」となっています。

高雄市内のレジャースポット香蕉碼頭(バナナ埠頭)の

テレサテン(フォートラベルより)

商業施設「香蕉故事館」の一角に移設されていました。

テレサテン(Twitterより)

思っていたよりも、小さいのですが奥行きがあったりするのでしょうか?

しかし、半年も持たずに閉鎖しています。

その建物内にテレサ・テンさんの展示物が放置されているということのようです。

閉鎖して1年経っているため、今は看板もないそうで

誰でも勝手に入ることができるのだそうです。

そこには、テレサ・テンさんの

胸像やポスター、生前の愛用品などが、

片隅に無造作に置かれたり、ゴミのように転がっているのだそうです。

もちろん、貴重なものは他に移してあるとはいえ

アジアの歌姫なのに…とは、思ってしまいます。

この「香蕉故事館」は高雄市文化局が管理しているのですが、

「テレサ・テン音楽館」が本来の使用目的に合致しないとのことで閉鎖となったため

次の移転先を探すことになったそうなのです。

再オープン候補や再開は?

記念館の再オープンを目指しているのは、高雄市国軍眷村文化発展協会。

候補地には、戦後中国大陸から移り住んだ人々の集落「眷村」に関する展示のある

「眷村文化館」を記念館の候補地として挙げています。

実際にテレサ・テンさんは中国大陸出身の両親を持ち、

幼い頃は眷村で暮らしたという故郷ともいえる場所です。

再オープンに向けて、署名活動などを行っているのですが

「眷村文化館」の所有権は、国防部にあり、営利目的での使用を禁止しています。

両者の折り合いがつくのは、まだ先のことかもしれません。


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謎の白人青年は恋人?

生前最後の極秘プライベート映像に映っていた謎の白人青年は、

恋人でフランス人の専属カメラマン、ステファン・ピエール氏(当時32)

と思われます。

ピエール氏は7年来の恋人だったそうで、

香港やパリに滞在していた時も同棲生活を送っていたそうです。

テレサ・テンさんはピエール氏に

1000万円以上もするカメラ機材を買い与えていたとも言われています。

訃報を知ったピエール氏は、救急搬送されたチェンマイ市内の病院に駆けつけ、

亡骸から片時も離れず付き添っていたそうです。

そこで台湾や香港の芸能記者がテレサとの関係を質問したところ

「突然に殴りかかってきた」と言われています。

恋人は、情緒不安定になっていたのでは…と報道されました。

なぜフランス人の恋人が?

なぜフランス人の恋人が?と思いましたが

テレサ・テンさんは、1989年からフランス・パリに移り住んでいたのだそうです。

1989年といえば、6月4日に、天安門事件が起きています。

天安門事件とは、大学生を中心とした民主化のデモを

中国人民解放軍が武力で弾圧した事件。

戦車に民間人がひき殺されたイメージが強いです。。。

テレサ・テンさんも積極的にデモに参加したと言われています。

そのためか、1990年、夢であった両親の生まれた中国本土での初のコンサートも中止になってしまいました。

当時、その心境を「夢は殺され 夢は見ることさえできなくなってしまった」

と語っているように、深く絶望したのかもしれません。

また、中国当局は、デモの支持者などを逮捕していったため

テレサ・テンさんも中国にいられなくなったのかもしれません。

テレサ・テンさんの心中をピエールさんが知っていたのだと考えると、

台湾や香港の記者にいい感情を抱いていなかったのかもしれませんね。

爆報THEフライデーでは

現在ゴミ屋敷状態となっている「テレサ・テン音楽館」は

誰でも入ることができるということで、

番組では、中の様子を映像として見ることができるかもしれませんね。

恋人のステファン・ピエール氏は、現在55歳でしょうか。

さすがに難しいかもしれませんが、

取材を受けてテレビの前に姿をあらわしてくれるかもしれません。



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