クマ兵士ヴォイテクはポーランドの英雄!なぜ兵隊に?晩年は?

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テレビ

ももあぼです。

 

7月8日放送の「世界まる見え!テレビ特捜部」では、

ポーランドで英雄となったクマ兵士ヴォイテクの生涯を紹介します。

 

今から70年以上前の1940年代、第二次世界大戦中のポーランド軍には、ヴォイテクと呼ばれたクマの兵士が実在したそうです。

 

ヴォイテクとポーランド兵士の出会い

ヴォイテク(Wojtek)は、シリアヒグマです。

 

1942年の春、ナチス・ソ連軍によるポーランド侵攻の後、強制収容所で生き残った若い兵士たちのグループは、中東へと向かっていました。

英米指揮下で、中東のペルシア回廊の補給隊の一員として参加するためです。

 

その途中、イランのハマダーン付近の休憩所で、赤ちゃんのクマを連れたペルシャ少年と出会いました。

それは、母親を猟師に撃たれ亡くして、死にそうになっていたヒグマの赤ちゃんでした。

 

ポーランドの兵士達は、肉の缶詰2、3個程と引き換えに、クマの赤ちゃんを引き取りました。

https://news.yahoo.com/animated-film-spotlight-bear-served-wwii-032427095

赤ちゃんクマは、生まれて間もなく、固形の餌をうまく飲み込むことができませんでした。

そのため、火炎瓶をヒントに、ウォッカの瓶にコンデンスミルク薄めたものをハンカチに染み込ませて飲ませました。

 

赤ちゃんクマのときから与えていたため、お酒と甘いものが好きになったともいわれています。

 

そして、「ヴォイテク」という名前をもらいました。

「ヴォイテク」はポーランドの一般的な男性名「ヴォイチェフ」の愛称形。

「戦を楽しむ者」「微笑む戦士」といった意味があるそうです。

クマ兵士ヴォイテクがかわいい!

それからヴォイテクは、テヘラン近くの難民キャンプで暮らしました。

ポーランド兵士たちがする敬礼も覚え、一緒にレスリング遊びや水泳も楽しんだそうです。

 

そして、レスリングで相手を負かしたときには、ごめんねと顔を舐めたのだそうです。

https://news.yahoo.com/animated-film-spotlight-bear-served-wwii-032427095

そして、時には負けてくれたこともあったというヴォイテク。

ヒグマが本気を出すと、こんな感じなのだそうで、笑顔で見守っている場合じゃありませんよね。

 

ポーランド兵士達との間には、信頼関係がうまれ、まるで兵士みんなの子供みたいだったようです。

その愛くるしさから、まもなく付近に駐屯していた全部隊のマスコット的存在になりました。

 

ヴォイテクは、家族を亡くしたり離れて暮らしたりする生活をしている兵士達の癒しだったんですね。

 

ドイツのポーランド占領下では、許可なく家畜を飼うだけでも、死刑(その場で銃殺)だったようですし。

 

クマ兵士ヴォイテクとスパイ

ある日、駐屯地で不審人物が悲鳴をあげたことがありました。

もちろん、スパイ?の不審人物は、かけつけたポーランド兵士に捕まりました。

 

なぜ、悲鳴を上げたかというと、ヴォイテクがシャワーをしていたから。

兵士が無防備なところを狙ったのかもしれませんが、まさかクマがシャワーしているなんて想像できませんもんね。

 

こうして不審者を捕まえることに貢献したヴォイテクは、大好物のビールを2瓶ももらったそうです。

器用に両手(前足)でビール瓶を持って飲むんですよ。

 

ヴォイテクはなぜ兵士になったの?

(Wikiより)

1944年、ヴォイテクは、ポーランド陸軍に正式に徴兵され、ポーランド第2軍団第22弾薬補給中隊に配属されました。

 

アレクサンドリアの港では、輸送船で動物を運ぶことはできず、兵士にしか乗船を許可しなかったからです。

そこでヴォイテクには、階級と軍籍番号、軍隊手帳が与えられ、渡航は許可されました。

 

正式に兵士となったヴォイテクは、テントの中で他の兵士たちと一緒に暮らしました。

もちろん、お給料もありました。

 

ハニー、マーマレード、シロップ、果物が好きでした。

また、ビールを好み、タバコを吸う(あるいはむしろ食べる)、シャワーを浴びる、夜には大きくなっても兵士に寄り添い一緒に眠ったこともありました。

モンテ・カッシーノの戦いに参戦!

そして、イラク、シリア、パレスチナ、エジプト、そしてイタリアを旅し、モンテ・カッシーノの戦いに挑みます。

 

この戦いは、第二次世界大戦中にイタリアのモンテ・カッシーノで、1944年1月から5月まで行われました。

 

当初、ウォイテックは前線の戦いの音が気になって悩まされましたが、時間が経つにつれて、敵を観察するために木に登って眺めていたこともあったそうです。

 

 

重金属の大砲の後で、木枠を持ち上げなければならないときも、兵士たちが苦しんでいるのを見たヴォイテクは、持ち上げてトラックに運んでくれました。

これは熊にとっても重たく大変な作業で、ヴォイテクが疲れたときは、次々と木枠の上に重ねてくれました。

こうしてもらうだけで、他の兵士たちは、地面から持ち上げる必要がなかったので大変助かったそうです。

 

また、部隊の一員として、兵士4人がかりで運ぶような思い弾薬を運びました。

足場の悪い山岳地帯でも、砲撃の音にも臆さず、決して弾薬箱を落とすことは無かったのだそうです。

 

(Wikiより)

モンテ・カッシーノ戦の終結後、ポーランド軍の司令部はヴォイテクの人気を認め、砲弾を持ったクマの描写は、その後第22中隊の公式の紋章となりました。

 

クマ兵士ヴォイテクの晩年は?その後は英雄に

1945年に第二次世界大戦が終結すると、ヴォイテクは第2軍団の残存将兵と共にスコットランドのバーウィックシャーに送られました。

 

ヴォイテクには、伍長の階級が与えられました。

 

第22輸送中隊は、駐屯したハットン村で村人たちや報道の間で人気者になり、スコットランド・ポーランド文化協会の名誉会員に選ばれました。

 

 

1947年11月15日、連合国軍の命令で動員解除後、エディンバラ動物園に預けられました。

もちろん、ポーランドの兵士たちは、ウォイテックと一緒にポーランドに戻って、一緒にワルシャワの街でパレードできることを望んでいました。

https://morbidology.com/the-polish-soldier-bear-wojtek/

ポーランドでは、英雄ヴォイテクを引き取るべきだという論争が起こりましたが、至らず。

 

なんか世論を作ったのは、ポーランドの新聞という感じで嫌な話ですが、

「国民的英雄の台座から一部隊のマスコットの役割へ」と主張し、国内で沈静化してしまったようです。

 

 

時々訪れるジャーナリストや元ポーランド軍兵士の何人かは、ヴォイテクにタバコを投げ与えたり、檻の中に入ったりしたそうです。

 

懐かしいポーランドの言葉が聞こえると耳を動かしたり、元兵士が音楽を聞かせたときは体を揺らしたりしたそうなので、頭のいい子なのでしょうね。

 

ある兵士によると「ヴォイテクが人間であると信じているように見えた」そうなので、

他のクマと慣れあわなかったのもわかるような気がしますし

頭のいいヴォイテクが、動物園で「ボクは人間じゃなかったんだ」とか思っていたとしたら切ないです。

 

 

晩年は、リウマチによる関節の変形と食道の病気、岩山から落ちる危険性があると狭いケージに入れられ、安楽死させられています。

 

1963年12月2日に21~22歳で死去。(平均寿命35歳~40歳)

そのうち16年間を動物園で暮らしました。

 

死亡したときの体重は約250kg、体長は180cmを超えていたそうです。

例え5年くらいだとしても、兵士として過ごした時間は、ヴォイテクにとって、キラッキラして楽しかったんだろうなぁ。

 

ヴォイテクはその後も人気

ポーランド・クラクフの公園には、ヴォイテクの銅像、

エディンバラ動物園には石板、ダックスフォード帝国戦争博物館およびオタワのカナダ戦争博物館には飾り額、

ロンドンのシコルスキ博物館には記念碑があります。

 

2014年に、モンテカッシーノの70周年に間に合うようにと、等身大の青銅色の彫刻がエジンバラのプリンセスストリートガーデンに建てられ、

2018年に、ポーランドの第二軍団とヒグマと一緒に旅をする、「Mis Wojtek」というボードゲームが作成されました。

 

大鎌戦役(SCYTHE)というボードゲームにもヴォイテクという名前のクマが登場しますよね。

あと、日本でもゲームのモチーフや児童書が発売されています。

 

ヴォイテク、愛されていますね。

ヴォイテクはアニメ映画に。2020年公開!

第2次世界大戦中にポーランド軍に配属されたクマ、ヴォイテクは、2020年にアニメ映画で放映予定。

 

イギリス ・ポーランドの映画製作者たちは、戦勝75周年記念の2020年に “A Bear Named Wojtek”を放映予定ですが、日本で放映されるかはわかっていません。

 

クマ兵士はカナダにも?くまのプーさんのモデル?

ヴォイテクのような兵隊クマは、カナダにもいたようです。

 

第一次世界大戦中にカナダ騎兵連隊がマスコットとして飼っていたクマがいました。

名前は、ウィニー。

 

くまのプーさんの英語名である「ウィニー・ザ・プー」は、このウィニーから名付けられたそうです。

 

カナダ騎兵連隊がイギリスまで来たところで、戦況は悪化し、ウィニーを連れていけなくなったのだそうです。

そこで、ロンドンの動物園に預けられ、1934年に老衰でその生涯を閉じます。

 

クリストファー・ロビンは、著者A.A.ミルンの息子である、

クリストファー・ロビン・ミルンをモデルに書かれ、息子がテディベアにウィニーと名付けたことから着想したそうです。

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