横井庄一のサバイバル術!妻の美保子との馴れ初めや発見・帰国後は?突破ファイル

こんにちは、ももあぼです。

1月24日放送のTHE突破ファイル

冬の初告白スペシャルということで

奇跡の生還を果たした日本兵・横井庄一さんについてです。

横井庄一さんは、終戦を知らずに28年後に発見され

帰国をした時の

「恥ずかしながら帰って参りました」は、流行語になりました。

28年間のサバイバル術と

帰国後のことについてまとめてみました。

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横井庄一プロフィール

横井庄一(よこい しょういち)さんは、日本の陸軍軍人、評論家です。

http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji151017.html

生年月日:1915年3月31日

没年月日:1997年9月22日

出身地:愛知県海部郡佐織村(愛西市)

経歴

1935年(昭和10年)、満20歳で招集され4年間軍務についた後

洋服(紳士服)の仕立て屋を開き、働いていました。

1941年(昭和16年)に再召集され、満州へ。

1944年(昭和19年)から、グアム島の歩兵第38連隊に陸軍伍長として配属されました。

1944年7月、5万5千人のアメリカ軍が上陸(グアムの戦い)。

約2万人の日本軍の守備部隊は、援軍・補給もない壊滅状態。

8月には、戦死したとされ戦死公報が届けられました。

当時、グアム守備隊壊滅後も生き残った一部の将兵は

山中に撤退し、ゲリラ戦を行っていました。

1945年(昭和20年)のポツダム宣言受諾によって

日本軍の無条件降伏については、知らされていませんでしたし

投降を呼びかける放送も信じる者は、いませんでした。

28年後、グアムで残留日本兵として発見されました。

横井庄一のサバイバル術

住居

横井さん達は、ジャングルや竹やぶに自ら作った地下壕などで生活していました。

幅1.6m、高さ1.5m、奥行き4mほどの穴倉。

横井庄一(早瀬マサト様Twitterより)

昼は見つからないように穴倉で寝ていて、

夜になると川で体を洗い、ジャングルで食糧を探していたそうです。

穴倉は、6か所あり、移動しながら生活していたのだそう。

横井庄一 (TripAdvisorより)

床には、竹で「すのこ」が作られており

空気穴(換気口)、いろり、便所、排水溝を備えていましたが

高温多湿で虫も多かったのだそうです。

食べ物

横井庄一

https://4travel.jp/domestic/area/toukai/aichi/nagoya/nagoyakou/museum/10601335/

ヤシの実、パンの実をはじめ、パパイヤの木の芯、

毒のあるソテツの実を精製して粉にしたもの、ヤマイモ。

川でとれるウナギや川エビ、カニ。

毒ガマガエル、ネズもよく食べ

仕掛けを工夫して野生の鶏や鹿を獲ることもあったそうです。

また、野草も食べていたそうです。

調理方法は、見つかることを恐れ、

煙の出る「焼く」こと以外のす」か「煮る」

それに加えて、ヤシの実から油をとって「揚げる」こともあったそう。

(天ぷらを作ったのだとか)

また、「乾燥」することで、保存食を作っていました。

島の作物には、手を付けることはありませんでした。

道具

横井庄一

http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji151017.html

横井さんは、このサバイバル生活の中で

たくさんの道具を手作りしています。

調理道具は、水筒を半分に切ってフライパンを作ったり

鉄カブトを鍋がわりにしていました。

ヤシの実を利用した食器、魚をとる漁具

竹かごや棚、井戸まで作っていました。

そして、なんといっても機織り機。

横井庄一こちらは、横井さんが復元し寄贈したもの

http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji151017.html

ヤシの木やマンゴーなどの植物の繊維を織って、洋服を作りました。

横井庄一

http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji151017.html

洋服屋さんらしく、きちんとステッチも入っています。

ボタン、針も手作りです。

もちろん、生活のためではありますが

ちょっとオシャレに仕上がっていると思いませんか?

正気を保つために、自分の好きなことに没頭したかったのかもしれません。

その他

マッチはなかったので、手に入れたワイングラスで作ったレンズで

太陽の光を集めて火を起こしていました。

そのワイングラスがなくなってからは

火を絶やさない様に、竹筒に入れて持ち歩いていたのだとか。

月の満ち欠けで月日を数えて記憶し

日本語をできるだけ話し、忘れないようにしたそうです。

横井さんの性格は神経質だったと言われています。

仲間は、空腹の時に傷んだ食物を食べてしまうことがありましたが

横井さんはちょっとでも危険があると我慢したとされています。

また足跡で見つからないようにジグザグに歩き、

ヤシの実は、10あれば3つしか取らないなど

細心の注意を払って生活していました。

当初2人いた仲間も亡くなり

最後の8年間は一人で暮らしていたそうです。

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太平洋戦争終結28年後に発見され、帰国

1972年(昭和47年)1月24日

横井さんがエビやウナギをとるために罠をしかけに行ったところ

現地の鹿の猟をしていた住民に遭遇し発見されました。

「横井さんは体力が衰えていたためでしょうか、ほとんど抵抗しなかった。

あまり伝わっていない話ですが、

実は私の義兄は横井さんを殴りつけたうえに、

射殺しようとして銃の引き金を引こうとしたんです」

https://dot.asahi.com/dot/2015102900064.html?page=1

現地では、残留日本兵の印象は最悪。

発見者の義兄も残留日本兵によって、弟と甥を殺されていました。

横井さんを発見したのは、遺体発見現場の近くだったそうで

「容疑者」として疑われたのかもしれません。

1972年2月2日(満57歳)日本に帰還

軍事教育を受け育った横井さんは

「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため

帰国の際、羽田空港で空港に出迎えに来た斎藤邦吉厚生大臣に

「何かのお役に立つと思って恥をしのんで帰ってまいりました」と伝えたと言われています。

またその後の記者会見では「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど。」と発言。

これらの言葉から「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となりました。


帰国後は、栄養失調のため入院。

個室から大部屋に移されたときに、初めて心から安心し

生還を実感したのだそうです。

横井庄一の結婚・妻の美保子との出会いは?

1972年に帰国し、名古屋の実家に帰った横井さん。

既に母親は亡くなっていて、養子夫婦が後を継いでいました。

横井さんは、居候状態だったので、結婚することを急いでいました。

最初のお見合いの相手が急に断ったので、

幡新美保子さんに声がかかりました。

8月にお見合いが行われましたが

帰国当時の横井さんは、人間不信に陥っていました。

初対面で「わしを見に来ただけだろう」と言ったそうです。

ずっと見せ物扱いされ、結婚話も実らず、悩んでいたようです。

美保子さんは、「失礼な!」と声をあげ

「親に連れてこられたのであなたなんて知らないわ!」と怒ったそうです。

兄が海軍で特攻隊を志願させられそうになったこと

毎日神社で無事を祈ったこと

戦争で苦労された方ならと見合いに来たことを話すと

横井さんは、「怒ってくれる人が好きだ」と信頼するようになり

1972年11月に結婚しました。

25年一緒に暮らした家は、改装し、横井庄一記念館となっています。

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まとめ

終戦後も28年間グアムに潜伏していた

残留日本兵だった横井庄一さん。

日本に戻るという希望を捨てず

持ち前の器用さで、必要なものを作って生活していました。

帰国後は、「無駄には食うな 着るな 使うな」のとおり

つつましい生活を送っていたそうです。

また、陶芸を趣味にしていたそうです。

晩年は、ヘルニアや胃がんなど病気がちとなり、

1997年に、心臓発作を起こし亡くなりました。

82歳でした。

発見されたときに殺されそうになったことを考えると

28年間、終戦を知らなかったのではなく

「終戦は知っていたが、怖くて出られなかった」

という横井さんの言葉の通りなんだと思います。

戦争が続いているのなら、

戦争が終われば誰かが迎えに来てくれるかも

という希望があったかもしれませんが

戦争が終わっているから(のに)誰も迎えに来ない

だからといって自分から見つかることも怖いという

(一生隠れ続けなければならない?)状況の方が

希望がないような気がしてなりません。

そうまでして帰りたかった日本では

一番会いたかったお母さんが亡くなっていて…

なんか切ないなぁと思っていたら

グアムに行ったとき、現地のガイド(普通の市内観光)さんが

「横井庄一さんを日本の人は可哀想な人と思っているかもしれませんが、それは間違いです。

彼は命令に従い最後まで戦った偉大な軍人です。誇りに思ってください!」

て言ってたのを思い出した。

(D-backs102赤蛇教様Twitterより)

私が間違ってた ;つД`)

横井庄一さんは、やっぱりすごい人ですね。

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